カフェ・モルラッキで寿司(二度とやらない)前編

barmariko2005-02-04


ペルージャのチェントロにあるカフェ・モルラッキ。ここはペルージャで唯一イタリア人にも外国人にも安定した人気を持続している、カフェ・バールである。ペルージャ大学文学部の目の前、駅やペルージャ郊外に向かうバスの発着所に面しているせいもあり朝昼はバールとして賑わい、夜になると照明を落として生バンドのコンサート等で盛り上がる。

先週シスコというイタリア人から突然電話があった。彼は何者かというと、ペルージャのディスコテカやバールやパブでプレイするDJで、頼まれDJではなく自らフェスタを企画して必要な人材や機材を調達する、言わばトータル・コーディネーター(自称)である。「来週カフェ・モルラッキでフェスタを企画したいんだけど協力してもらえない?夜21時からなんだけどカメリエラで来てくれないかな。というのもマリコの親友のシンゴが僕と一緒にDJやるからさ。」「別にいいけど」とまあその日は予定もなかったのでOKした。ところが数日後シスコが詳細を伝えにわたくしの家に立ち寄った時、たまたま我が家は手作りの海苔巻きでイタリア人友人を囲んでの日本食ディナー真っ最中だった。大皿に盛られた、スモークサーモンときゅうりの海苔巻きを見てシスコは「マリコ!来週のフェスタで寿司作ってよ。絶対いいよ、珍しいから」とあっという間に乗気になってしまったのである。悪夢の始まりはこんな風だった。

「作るのは構わないけど、時間かかるよ。海苔巻き何本くらい要るの?」「30本」「前にバール・アルベルトで日本食のブッフェやったとき30本作ったけど、結局準備に8時間かかったから。勿論寿司だけじゃなくて他にも4種類くらい作ったからだけど」「大丈夫、カフェ・モルラッキには一人コックがいるからマリコを手伝ってくれるし、バール・アルベルトと違ってキッチンがあるから材料や道具を運ぶ必要もないし、全部好きに使ってくれていいんだよ」「ふーん・・・でも勿論タダじゃやらないよ」「当たり前だよ」

そう言いながら数日が過ぎ、あっという間に3日前。シスコがチラシをもってやってきた。見れば「DJシスコ、DJシンゴ」別枠に「スペシャル寿司・マリコ」何だこれは。しかももう明後日だというのに、そのカフェ・モルラッキのコックにまだ会わせてもらっていない。材料はどうするのか。誰が調達するのか。具は何にするのか。一体幾らお金は貰えるのか。
「ちょっと、まだ何も決まってないんだよ?どうするの?一体何時にキッチンに入ればいいのか、どういう具がいいのか何にも分からないからやりようがないよ。まずコックに会わせてって何度も言ってるじゃない」「大丈夫大丈夫、明日一緒にコックに会いに行こう。しかも彼は本当にブラボーで他のバーでも寿司を作ったことがあるんだよ。マリコにとっていいヘルパーになるよ。しかも当日の午後はずっとフリーらしいから、買い出しも一緒に行きつつコミュニケーションとってさ、問題ないよ。」何がコミュニケーションだ。あんたらみたいに1秒後には偽善じみた友情を口だけで簡単に結べるような人種とは訳が違うのだ。しかもこういうコックとやらは、つまりペルージャのパブやバーで寿司作りをひけらかすようなイタリア人は、日本食を全く知らない奴よりタチが悪い。変にプライドだけ高くて非常に扱いにくいからである。しかもDJをやる予定だった親友のシンゴがインフルエンザで寝込んでしまい、とてもじゃないがプレイするどころではなくなった。この時点でわたくしの「ヤルキ無し」は既に絶頂に達していた。

何度も頼んでやっとコックとの約束に漕ぎ着けたのが前日の午後19時半。シスコと一緒にカフェ・モルラッキへ足を運ぶと、このコックはその日カメリエレとして働いていた。店も混んでいて落ち着いて話をするどころではなく、唯一シスコとこのコックが大盛り上がりで「どうせやるなら大量に作ろう。米5キロでどうだ」という決定を下しただけ。ちなみに米5キロとなると、当初の海苔巻き30本とは訳が違う。少なくとも90本はできる。1本あたり7個の海苔巻きがとれるということは・・・630個の海苔巻き。

結局ろくに話もできないまま、21時に終わるからまた来てくれ、と言われた。(ていうか最初からそう言え)そしてその後なんと待つこと更に2時間。夜の23時になっても彼の仕事は終わらず、結局電話がかかってきたのは夜中で、今日はもう遅いから翌日の朝8時45分に店の前で待ち合わせをし一緒に買いだしに行こうとのことだった。(このいい加減さが本当にイタリア人である)

ところでその前日わたくしはシスコに言った。「悪いんだけどあんまり乗気じゃないんだよね。そもそもカフェ・モルラッキには(自称)寿司ができるイタリア人コックがいるわけでしょ。だったらソイツがやればいいじゃないの。わざわざわたしが出てくる必要ないと思うけど。しかもチラシにはわたしの名前だけ。私が思うに、コックは結構気分害してると思うよ。寿司できるのに彼には誰も声かけないでさ。挙げ句の果てに手伝いだけさせられて。表に自分の名前は全く出ないのに。とにかくそんなコックがいるなんて全く知らなかったよ。知ってたら引き受けなかった。」「マリコはそんな心配しなくていいんだよ。本当に大丈夫だから、ただ寿司を作ってくれればいいから。」心配ではない。面倒なだけである。

ここで少しまとめると、これまで書いたことは全てフェスタの前日までに起こったことである。何にも決まっていないのである。しかも前日の夜、この不満をルームメイトのカリーナというブラジル人の女の子にぶつけること1時間。何故なら偶然にも彼女はカフェ・モルラッキで毎日カメリエラとして働いている為状況をよく分かってくれるからだ。「うん・・・実はコック、相当切れてたみたいだよ。誰も彼に声かけなかったから。勿論マリコのせいじゃないから。そもそもシスコがきちんと企画しないからさ、モルラッキのオーナーは今日まで明日のフェスタに寿司があることすら知らなかったんだから」「・・・」事体はますます最悪の方向に向かっていた。そもそもこの実は怒りを腹にすえたコックと、密室のキッチンで二人きりで何時間も働く、その状況は想像するだけで嫌だった。


そして買いだし当日。わたくしは5分前の朝8時40分にカフェ・モルラッキへ到着し、カフェ・マッキアートを飲みながらコックを待っていたにも関わらず、彼は来ない。結局30分も待たされた挙げ句笑顔で登場、「いやーごめんね。最後の1秒までベッドにいたもんだから。あ、朝ご飯ここで食べていってもいいかな?5分で済むから。」とノタマッタのである。

そして車を走らせること15分。ペルージャで一番大きい問屋「メトロ」へ到着した。ここはリストランテ、バール、パブ等の飲食店を持つオーナーのみが利用でき、一般人は入れない。各店の持つID番号で伝票がすぐ作成され、年末の会計処理等にも有効であり、全ての商品がケース売りで破格ときている為、100%どの店も買い出しはここで行う。(例外を忘れていた。バール・アルベルトだ。不精者の彼は同じくガリバルディ通りの馬鹿高いコナドというスーパーでポテトチップやナッツをおつまみ用に一袋だけ買ったりする大馬鹿者である)日本のように八百屋、肉屋、魚屋、ワイン問屋がそれぞれトラックで配達してくれる日本の飲食店状況とはまるで違う。よほどの大型店で無い限り、店は自分で毎日買い出しに行かねばならないのである。例外なのは私の知るところではビールくらいであろう。さすがにビール樽はハイネケン等の会社が配達してくれる。そこが扱うリキュールも勿論対象である。

コックの買い出しへのヤル気は凄まじかった。そもそも最初私が提示した材料はこれだけだった。「スモークサーモン1キロ、海苔30枚、キュウリ1ケース、ゴマ」「卵30個、長ねぎ2本」つまり海苔巻き30本と卵焼き50個分である。勿論材料費を考えてのことである。米代や酢、醤油のボトルを入れても50ユーロ(7000円)で収まる。

しかしコックは続けた。「生のマグロを買おう。僕は刺し身もできるんだ。半分は鉄火巻にしよう。それから小エビも使いたいんだけど。海苔巻きの上に飾るのにいいだろ?あと少し大きめのエビね、これも使えるよ。あとはハーブ。これは飾りに使えるし、この香りがたまらないんだよね。」と、どんどん続く。「ちょっと、お金は大丈夫なの?」「大丈夫、オーナーが150ユーロくれたから。」また何と太っ腹な。

魚売り場に並ぶマグロを見て驚いた。色が悪い。しかも真空パックになっていて味見すらできない。わたくしなら絶対買わない。しかもわたくしは特に調理場で働いた経験もないし、料理は好きだが板前のように魚がさばけるわけでは全くない。刺し身も上手く切れない。出来ないことはやらない。やるのは家庭料理だけ。というのが信条であるのに、このコックは自分の腕前とやらを見せたくて見せたくて仕方ないのだ。その笑みは絶えず、「この800グラムの切り身を一本買おう。あとこれ、メカジキのスモーク。味見したことないんだよね。多分寿司にも合うんじゃないかな。ちょっと高いけど・・・まあ僕らで味見しようよ」1キロ8ユーロのスモークサーモンを購入することで具はOKと思っていたわたくしの案は、あっさり捨てられた。このメカジキのスモークなど、たったの50グラムで3ユーロである。更に彼の持ってきた1キロのエビ、これはエビの形はしているものの、味は絶対カニカマボコだろうなということが、日本人のわたくしには手に取るように分かった。そんなの個人で購入しろよ、と思いつつも(そうだ、コイツは腹に怒りをすえてるんだった)という一抹の不安と面倒くささが、彼の非常識な寿司の材料購入を黙認してしまったのである。

そして売り場を回りながらも彼のお喋りは続く。「僕はマキス使わなくても海苔巻き巻けるんだよね」「何で?」「いやあ、一度本当に大量に作ったことがあってさあ、マキスいちいち使っていられなくなって。気付いたらマキス無しでもできるようになってたよ」「へえ。あなたの手は寿司を握る為に生まれてきたんじゃないの?」「ブラバー!そうかもしれないな!」(そんなことあるわけないだろ、バーカ)

結局彼は貰ってきた150ユーロを使い果たし、わたくしたちはカフェ・モルラッキへと戻った。ここで「しかしさ、こんなに大量の寿司を作るのに夜21時からってヒドイよね。シスコもオーナーも全然分かってないよ。せめて18時、19時からにして食前酒飲むのにやってくる常連客にもアピールしなくちゃ意味がないよ」とコックは言い出した。勿論それはそこだけに関して言えばコックが正解である。がしかし、シスコは夜21時からのフェスタの一要素として寿司を提案しただけで当初は30本の予定だった。コックとシスコが勝手に盛り上がって米5キロと言い出し、大量生産への運びとなったのである。しかしこうなっては本末転倒。寿司の為のフェスタになってしまう。特にコックは寿司を自分の客に見せる(自慢する)チャンスを確実に感じ取っており、そのためどうしても時間を早め、せめて19時から始めたがったのである。

「あのね、わたしは賛成だけどもうチラシには21時から、って書いてあるでしょう。最初に全部使ってしまって、後から来る客には残ってないとなったらまたややこしいし。とにかく、シスコとオーナーとちゃんと話して。もし時間を早めて店側の食前酒タイムにも使うってことなら、私も早めにきて準備するから。本当は18時半にキッチン入りしろとシスコには言われてるけど、彼らの了解があるなら別に15時に準備始めてもいいから。彼らの了解をとったら私にメールして。わたしはそれまで家にいるから。じゃあね。」

想像通り、家で昼ご飯を食べていると「15時に来て」コックからメールが届いた。そして15時からわたしたちは準備を始めることになった。
第一の打撃はマグロと言う名の切り身だった。コックは自分専用の魚用包丁(日本製)を見せびらかしながら「最低の」包丁さばきでマグロを見事なまでに小ぶりに切った。しかもヨレヨレである。「無知の無知」ほど酷いものはない。一切れ味見をした。有り得ない。こんなに不味いマグロは本当に食べたことがない。
「どう?最高とはいえないけど、まあペルージャのメトロで手に入れた赤身と思えばイケるよね。」ってお前どんな五感持ってるんだ。コレハナニ?味が全くなく、残るのは生臭さとコックの満面の笑みだけ。これは何とかせねば、チラシに載ったわたくしの名前が汚れる。

このときわたくしの頭には「たたいてネギ、ゴマ、ゴマ油で和えてネギトロにする」「醤油とゴマとゴマ油でヅケにする」の二案しかなかった。しかしわたくしがその準備にとりかかっている間、コックは着実に自分の「刺し身盛り合わせ」を完成させていた。(写真)何とこの小さいマグロのカケラの50%を覆っているのは煎りゴマ。確かにゴマは寿司には有効だし頻繁に使用される。しかしこれは・・・。しかも刺し身を何より先に4時間前に完成させてラップもしないで21時まで放置しているとはどういう神経なのか。しかもこの笑顔、マグロのカス・・・わたくしは大袈裟に言ってるのではなく、本当に吐き気がした。あとはもう、このサシミという作品を日本人のお客様の目に触れさせず、食べさせないように阻止するしかない。

(後半へ続く)