トーマスの家で日本食

barmariko2005-01-31


全くトーマスの家は素晴らしい。日本食を愛するトーマスと奥さんのイヴァナ。箸は勿論のこと和食器、醤油さし、丼まで揃っている。そしてソムリエであるトーマスの家では当然の、数々のワインやグラッパ、リキュール。貯蔵庫には一体何本の秘蔵ワインが眠っているのか誰も知らない。そして必ず常備される酒や焼酎。日本食のディナーをしようと思ったら、トーマスの家が一番良いのに決まっている。

というわけで昨夜の日本食ディナー。メンバーはトーマス、イヴァナ、アンドレア、ジュセッペ。アンドレアとジュセッペは言わずもがなわたくしの親友で、全く今まで何回日本食を食べさせたか分からない。特にここ1週間、父から送ってもらった真空パックのウナギをみんなにご馳走しようと、わたくしは自宅で2回ほど日本食を作って友人を招いたのだが、必ず出席するのが彼らである。そして昨夜で3回目。1週間に3回も寿司やウナギご飯を食べているイタリア人なんて、イタリア中探したって彼らくらいのものだ。(むしろ東京に住む日本人より凄い)

ところで実はトーマスとイヴァナに日本食をご馳走するのは昨夜が初めてだった。がしかし彼らが既に日本で、ニューヨークで、ロンドンで、常に日本食を満喫しているのを知っていたし、他のイタリア人に日本食を食べさせる時のような「これ、口に合うかなあ・・・」という心配は全くなく、何を作っても絶対食べてくれるだろうと思っていた。イヴァナは「日本食はわたしの生きる糧よ。私たちの国のイタリアンと違って重くないしヘルシーだし、奥の深い味付けが最高。世界で最も 繊細な味覚を持つのは日本人だと信じて疑わないわ。」とただの「日本食が好き」を通り押してその絶賛ぶりは崇拝に近い。

ここで少し寄り道。一般的にわたくしの経験から言ってもイタリア人は(と一括りにするのはよくないのだろうが)食に対して非常に保守的である。イタリアンが世界で一番美味しいと信じて疑わないのはいい。やはり人間慣れ親しんだ味、お袋の味、家庭の味が一番というのはどこの国も一緒でそれは日本も同じである。ただイタリア人が他のヨーロッパ人と異なる点は、「食べたことがないもの」に対して興味が薄く偏見で凝り固まっている為に「食べようとしない」ことだ。つまりただの食わず嫌いである。他国の食に対する批判も凄まじい。

例えば味噌汁を作って食べさせるとする。「何でこんな色なの?辛いの?」「味噌が入ってるから。」「味噌って何?」「大豆を発酵させたクリーム状のもの。ほら、これ。」「ふーん・・・いいや。ノー・グラッツィエ。」「食べてごらんよ。お腹にも優しいし、油もバターもチーズも使わない超ヘルシーでカロリーなんて殆どないから。」「でも僕の胃はデリケートだから、食べたことないものを試すと消化できないんだよね。そもそも豆でできてるんでしょ、このミソってやつは。重くないわけないじゃないか。」といって結局食べない。昔ルームメイトだったガブリエレやエミリアーノは典型的なこのタイプで、1年も一緒に暮らしていたというのに、一口も日本食を試したことがない。しかも匂いだけかいで「重いな」とはよく言ったものだ。

そういうわけだから、貴重な日本から送ってもらった食材を、保守的なイタリア人には食べさせたくない。勿体無いから。海苔だって貴重なのに、海苔をはずして海苔巻きを食べられた日には本気で殴ろうかと思う。いつだったか日本人の友人が実家から送って貰ったという梅干しを持ってきたときはそれを叩いて出し汁でのばし、カツオブシを加えて梅肉ソースにし、キュウリとともに海苔巻きの具にした。これも日本人の友人だけ呼んでこっそり食べた。これではまるで禁教である。だが仕方が無い。テーブルで「これいや」「あれいや」と言われたり、一口入れたとたんに歪む表情は見たくないから。とはいえ料理好きなわたくしにとって友人とのご飯は絶対省けない生活の要素であるため、必然的に友人は選ぶようになった。つまり非常にオープンな性格で、外国のものに対しても興味津々、出されたものは文句も言わず喜んで試すひとたち、である。当然アンドレアもジュセッペも貴重なそういった親友たちのひとり、むしろ先陣を切っている。

話を昨夜のディナーに戻そう。トーマスの用意してくれた甘口のとびきりの白ワインを食前酒に、わたくしはディナーの準備を始めた。といっても料理の8割は自宅で既に作ってあるので、盛り付けたり温めたりするだけである。さて昨夜のメニューはこんな感じ。

スモークサーモンとキュウリの海苔巻き、焼鮭の散らし寿司ルッコラ添え、ヒジキと茎ワカメと白インゲン豆の煮物、ウマキ卵、キュウリとダイコンとニンジンと刻み昆布の浅漬け。

ペルージャという海のない街、日本食を売っている店など殆どない街でこれはマックスの和食である。そもそもウマキ卵に使うウナギは金沢の料亭浅田やが作っている真空パックで、両親が時折日本から送ってくれるもの。これがなかなかの優れもので、何回お世話になったか分からない。1パック確か600円くらいはするので、シンプルにウナギ丼には絶対しない。5人で食べたら5パック消費してしまう。ということでわたくしがいつも作るのは、少量のウナギで済むまぶしご飯。炊き上がったご飯に、細かく切ったウナギ、錦糸卵、煎りゴマ、ルッコラ、そしてウナギのタレ。これでイタリア人も絶賛のウナギまぶしご飯の出来上がりである。昨夜は既に何度かこのまぶしご飯を食べたことのあるアンドレア、ジュセッペがいたので、ちょっと趣向を変えてウマキ卵にしたという訳だ。そもそも日本の四角い卵焼きというのは、外国人に対してプレゼンテーション能力大である。「おお、何てアーティスティックな!」と日本人の繊細な手先をアピールできること間違いなしである。

さて海苔巻きであるが、既に日本で何度も寿司を食べているイヴァナもトーマスも、そして既にわたくしの寿司を何度も食べているアンドレアも、ワサビが大好きである。ワサビ醤油の域を超えてそれはワサビソース?!と思わせるくらいたっぷり付ける。ところがジュセッペは日本食は大好きだがワサビだけは駄目なのだ。海苔巻きを食べるときは醤油すら付けない。海苔巻きに使う酢飯の作り方は、2年に渡るイタリア生活で学んだ。というのも、イタリアには米酢がないのでどうしても白ワインビネガーを使うことになる。しかし酢飯にするには酸味が強すぎるのだ。結果、わたくしはいつも水で溶いた粒状の昆布だしを混ぜることにしている。これは日本へ一時帰国する友達等に頼んで持ってきてもらう。重い米酢を頼むよりよっぽどよい。

そしてヒジキ。本当にこれは意外な発見だった。わたくしのイタリア人の友人(つまり外国のものに対してオープンな友人)は皆、ヒジキが大好きである。あのヒジキ特有のプーンと漂う海藻の匂い、あれが食欲をそそるとアンドレアは言う。最もヒジキだけでは食べにくいだろうから、イタリアの白インゲン豆(わたくしの母はいつも大豆を入れていたので)やニンジン等を混ぜることにしている。貴重なヒジキの節約にもなる。勿論ヒジキなど、ペルージャで手に入る訳はないので、これも日本からの贈り物である。日本から送ってもらうものは何がよいのか、いつも考えるポイントは、とにかく軽いもの。乾物は最高だ。軽い上に量が増える。あとはカツオブシや煎りゴマ等も使い勝手がある。

今回作った散らし寿司も時折イタリア人に食べさせるメニューの一つだ。生鮭はさすがにスーパーでも一切れ200円くらいで売っているので、これをグリルで焼き、ほぐして寿司に混ぜる。これまた少量の鮭で済むし、鮭が入ると風味が抜群に増すのでよく使う手だ。そもそもイタリア人というのは、リゾットやお米のサラダ等を食している為、具の入ったご飯には慣れている。その風味が日本食の場合は甘くなるだけだし、基本的に異常に甘いもの好きのイタリア人には受け入れられ易いのだろう。更に最近はイタリア人の中でもご飯を食べる人が増えてきている。パンは小麦粉、バター、卵、とカロリーがあるものが含まれているのに対し、米は素材そのもの米でどう考えても軽いからだ。アンドレアやジュセッペもよく「昨日は食べ過ぎたから、今日はちょっと軽めにご飯がいいな」「今日はちょっとお腹の調子が悪いからご飯にしよう」等とよく言っている。

最近はまっているのが、今回も作った「浅漬け」。材料が全てイタリアにあるものでできるし「和食はヘルシー」の神髄だから。わたくしがよく使うのは、ニンジン、キュウリ。駅前のコープに時折顔を出すダイコンを手に入れた時はこれも必ず。そして鷹の爪を入れて辛くする。さらに今回は、父親の通う一杯飲み屋のおかみさんから頂いた「乾燥茎ワカメと昆布」をもどして加えたら、その風味のよさにはわたくしも驚いた。日本人的に浅漬けというのはたくさん食べるものではない。日本酒やビールのつまみ、箸休め、オニギリの横に一つまみ、といったところだろう。しかしイタリア人(何度も言うが外国のものに興味のあるオープンなわたくしの友達)はこの浅漬けをバクバクモリモリ食べるのだ。いつだったかアンドレアが「マリコ、浅漬けは例えばイタリアンの肉料理の付け合わせ(コントルノ)としても使えるんじゃない?」と言っていた。日本人である私たちからすると少々微妙であるが、まあアリかもしれない。昨夜トーマスも最後の最後まで浅漬けをつついていた。このピリッとした辛さが何ともワインにあって良いのだという。

こんな感じで何とかテーブルに並んだ和食たち。この家が素晴らしいのは、冒頭にも書いたが食器が揃っているところだ。イヴァナは実は家具作家であり、台所やリビングにはところ狭しと彼女が作った家具が置かれ、日本やニューヨークで買い付けた和食器が並ぶ。また彼女はイタリアンを食べるときも、白の四角いシンプルな皿を好むので、どことなくオリエンタルな雰囲気になる。日本でいう「和食ダイニング」のようなイメージである。

私がイヴァナに「本当に大満足。だっていくらわたしの家で和食を作っても、食器がないから大勢招けば招くほど、プラスティックの使い捨て皿を使わなくちゃいけない。」と言うと「何てこと!!そんなの絶対駄目よー。和食にプラスティックの皿なんて。マリコ、和食作る度に家にきなさい。何より私たちも嬉しいし、わたしが買い込んだ和皿もただ飾っておくよりは使ったほうが良いんだから」と満面の笑みだった。

さらに「ねえ、今度テンプラしましょうよ。実は以前揚げ物用マシンを購入したんだけど(ここで一言。イタリアではこのマシンは非常にポピュラーで、見た目は日本の炊飯器である。蓋を開けると中には具材を入れるカゴがついている。蓋を閉めて揚げるのでキッチンも汚れないし、油の匂いも充満しない。ボタン一つで温度設定もできる非常に優れものだ。イヴァナの買ったのはデロンギ製だった。「もう2年も使ってなくて、是非活用したいのよ。やっぱりテンプラが食べたいわ。具は何がいいの?やはりエビ?何でも指定して。用意しておくから。」というわけで、今度はテンプラパーティをすることになった。とここでジュセッペが拒否反応を示した。2年ほど前にペルージャ在住の日本人の女性が作ってくれたテンプラを食べたのだが、重くてとても食べられなかったというのである。確かにテンプラは揚げ方次第で味が完全に変わるし、上手に揚げるのは実に難しい。また一つプレッシャーが増えた。

ちなみに明日はカフェ・モルラッキというチェントロにあるカフェ・バーに海苔巻き30本持って行かねばならない。(勿論お金は頂くが)夜の9時からDJを呼んで音楽付きのパーティがあるのだが、おつまみとして寿司を、ということらしい。彼らが作ったチラシを見てギョッとした。「スペシャル・スシ・マリコ」とあるではないか。恥ずかしすぎる・・・