同性愛者あれこれ

barmariko2005-11-24


約30年間に及ぶニッポン生活の中で、ゲイやレズビアンの友達は何故か出来たことがない。職場にも、大学にも、バイト先にも、いなかったのだ。いやいたのかもしれないが、彼らは皆ひっそりと身を潜めていて、わたくしが気づくよしもなかったのである。おすぎやピーコやHG・・・ブラウン管の向こう側にいる彼らだけが、知識としてわたくしの知る同性愛者だった。

しかし。イタリアにきて「同性愛者」というものが非常に身近な存在となった。バール・アルベルトで働き始めた初日、店主アルベルトはわたくしにこう言った。「さっき店に入ってきて俺に挨拶したオヤジいるだろう?マルコっていうんだけどさ、ペルージャで一番古いゲイだよ。夜な夜なパブやバールを徘徊してさ、今でも現役バリバリだよ」そういって耳たぶを指でなでた。(この行為は「ゲイ」を表すイタリア式ジェスチャーである。)

大学のクラスに、天使みたいにきれいな顔をした華奢なドイツ人の男の子がいた。まだ若干21歳で、誰とでもすぐ打ち解ける明るい子だった。クラスではいつも女の子と喋っていて、顔もきれいだし、身のこなしも優雅なため、わたくしたちも「まるで女の子とお喋りしているかのように」仲良くしていた。しかし何かが違うのである。健全な21歳の美男子が、クラスで一日中女の子とお喋りしていたら、放課後にその女の子たちと他の形で発展するのが常ってもんである。映画を観にいくとか、お茶しにいくとか、飲みにいくとか。しかし彼にはそれがなかった。授業が終わると「じゃあまた明日!」といって、足早に去ってしまう。そう、彼はゲイだった。

そんなある日同じクラスにいたスペイン人の男の子が「ねえ、知ってる?あいつゲイだよ。俺、見ちゃったんだ。公園でイタリア人らしき男の膝の上に・・・あいつが乗ってた。2人きりでさ、いいムードだったよ」生々しい証言に驚きはしたものの、その美しい情景が眼に浮かんだ。実際、美しいに決まっている。何しろそのドイツ人は本当に可愛い子なのだから。
ところでイタリア人ゲイに言わせると、ニッポンジン男子は超人気があるらしい。「華奢で、清潔で、繊細だから」がその理由である。そういやわたくしのペルージャでのお友達、ニッポンジンのO君は、イタリア人ゲイに常に追いかけられていた気がする。O君はノーマルなのだが、何故か擦り寄ってくるイタリア人が多くて辟易していた。

わたくしが近所のパブ、ダウンタウンで仕事をしていると、そのO君がバスケットを通じて知り合ったというイタリア人男性を連れて1杯飲みにやってきた。しかし後で分かったのだが、実はこのイタリア人男性、ペルージャでは有名な「実ることのないニッポンジン狩り」に毎日勤しんでいるゲイだった。そんなこととは露知らず、O君は仲良く一緒に飲み始めたのだが・・・どうも様子がおかしい。イタリア人男性が体をクネクネし始めて、O君に必要以上にスリスリし、O君が一瞬でも席をはずすと「Oはどこ!?Oはどこへ行ったの!?」と大騒ぎする。

幾らなんでも分かりやすすぎるそのリアクションに、ついにO君も身の危険を感じ、カウンターで他の常連客とお喋りをしていたわたくしのところに逃げてきた。「た、助けて!あいつヤバイよ!」と、背後から走り寄ってくるイタリア人ゲイ。「もぅ〜O君ったら〜!どこへ行ってたのよ〜!」とスリスリ。O君は構わずわたくしに日本語で訴えかける。「帰るときが怖い!どうしよう、絶対コイツついてくるよ!抱きしめられたりとかしたら、マジどうしよ〜!!」あまりに不憫なO君であった。

その日、当然ながらこのイタリア人ゲイはO君を家まで送るといってきかなかった。わたくしはO君を守りたい一心で「あ、わたしとO君、家が近いの。一緒に帰るから大丈夫。あなたの家、方向逆でしょ?遠回りになっちゃうじゃない。心配しないで。わたしたち2人で帰るから。」しかし彼は執拗に主張した。「遠くなるとか、そんなことはどうでもいいんだ。僕はただ、O君を送りたいだけなんだ!!」つーか、一応女性のわたくしとしては、非常に複雑な心境である。

結局わたくし、O君、イタリア人ゲイは3人並んで家路についた。その間もわたくしは「コイツ、邪魔だよ」という視線をイタリア人ゲイからビシビシ投げかけられ、絶え続けた。全てはO君を守るためである。ま、その日は何とか無事修了したのだが、ソイツも何故そこまでニッポンジン男性にこだわるのか。10年間も尻を追い続けているらしいのだが、ペルージャは次から次へとニッポンジン留学生がやってくるのだから、彼にとっては夢のような毎日なのだろう。それにしても10年とは。(実ったことはないらしい)

書き出すとキリがない。そう言えばわたくしがペルージャのレストランで和食ディナーを企画したときなど、当日の客の7割はゲイとレズビアンだった。総勢13名の凄まじいグループだった。合コンのようにきっちり分かれて座っているが、よく見ると、男は男と、女は女としか喋らない。

イタリアのゲイ事情は、ニッポンのそれと比べて(陳腐な言い方で申し訳ないが)やっぱりオープンであることは間違いない。明るくて逞しくて、未来は希望で溢れてる、そんなパワフルな同性愛者がいっぱいいる。少なくともわたくしが知っている彼らは皆そうである。