犬も歩けば・・・犬の糞にあたる

barmariko2005-11-27

CACCA DI CANE ALLE STRADE!!!

ニッポンの何がすごいって、安心して道を歩くことができる点だ。夜道も安全、目をつむっても心静かに闊歩することができる。実に素晴らしい。犯罪について言っているのではない。犬の糞について、である。

今から5年前の2000年2月。勉強のため初めてイタリアという国、しかもあのローマに2ヶ月滞在するとなって、わたくしは心を躍らせていた。そんな中、勉強を始めて1週間目にして、わたくしが否応なしに覚えた単語がある。「CACCA DI CANE(=犬の糞)」。授業で教授が「ローマについて思うことを言いなさい」と質問を投げかけた時、わたくしは何をおいても「ローマの道は犬の糞だらけで歩けません!」と辞書片手に訴えたかったのである。現代ローマは「小動物の糞尿と車の排気、埃」で形成されていると、冗談抜きで思ったものだ。

良くも悪くも2ヶ月はあっという間に過ぎ、わたくしは仕事のため帰国を余儀なくされた。しかしそれからまた2年後の2002年10月、縁あって再びイタリアへと舞い戻ったのである。今度はウンブリア州の古都ペルージャへと。そこでわたくしを待ち構えていたものは・・・ローマにも負けないほどの「CACCA DI CANE(=犬の糞)」。
そもそも犬を飼っているひとが多い。それはいい。散歩もよくさせているようである。とにかく一歩外へ出ると、犬連れのイタリア人だらけである。しかし、糞を始末するためのビニール袋やスコップを持って歩いているひとに、まず出会わない。民家の前や、商店の前、スーパーの前など、どこにでも垂れていくのである。

夜など悲惨である。見えないのだから避けようがない。当然ながら、不幸にもその糞を踏んでしまう不憫なひともたくさんいるわけだ。街中に溢れる糞の半分には、みじめな靴跡が残っている。そして周りには、その糞を取ろうと自棄になってブロックや階段にこすりつけた跡。

雪が降るとさらに過酷である。晴れていれば道端の地雷の位置は避けることができる。しかし雪が溶けだすと、その水分で糞も流れ出し、中和され、道全体がどす黒くなっていく。つまり限りなく染みが道に広がるわけで、どれが地雷なのか、はっきり見定めることができない。最終的にはあきらめてそのまま歩くか、道を変えるか、である。

以上2点をふまえると、雪が溶けかかったころの夜道が一番危ない、ということになる。そりゃあもう、最初から糞の上を歩いていると悟ったほうがよい。

そう言えば去年の夏、バール・アルベルトで働いているとき、驚愕の事実を目にした。どこのどいつか知らないが、店のエントランスの目の前に、堂々と犬の糞があるではないか。しかもお腹の具合があまりよくなかったようである。オーナーのアルベルトには言ってないが、そのときわたくしはあまりにショックで、店の常連フランチェスコに声をかけた。「ねえねえ、好きなアマーロ(食後用の薬草酒)1杯おごるから、あの糞始末してくれない?」と酒1杯で掃除を頼んでしまったのである。仕方がない。糞を始末した手でカフェを淹れるのでは、客にも申し訳ない。(ということにしておこう)

話を戻すが(まあ、戻っても進んでも、とどのつまりは”糞”なのだが)、ペルージャは美しい街である、はずだ。「エトルリア遺跡の残る街」「ローマ帝国より古い街」とガイドブックを飾る美しい言葉はどこへ行ったのか。もう少し街の住人にこの世界遺産を守ろうという意識があってもよいものなのに。まあチェントロに住んでいるのは、もはや他所からやってきたイタリア人学生や留学生が殆どだから、郷土心を持てといっても無理があるのかもしれないが。それにしても汚すぎる。

写真上は、チェントロ近く、モルラッキ広場からすぐのところ。観光客がシャッターを切る絶好ポイントでもある。しかし、実はこの美しい水飲み場の裏は、十中八九、犬の糞がゴロゴロしている恐ろしく汚いゾーンである。水を飲む前に、写真を撮る前に、ぜひとも一度裏をチェックするべきである。どんなときでも事実から目を背けてはならない。