挨拶はキッスから

BACI,BACI,BACI!!!!

「ホッペにバーチョ(キッス)」で挨拶を交わす習慣は、勿論ニッポンでは見られない。それがイタリアの場合、親しい間柄のひとに会うと道端であっても、レストランでも、映画館でも、どこにいても必ずホッペに2回(つまり片頬に1回ずつ)のバーチョが交わされる。「CIAO!!! COME STAI?(元気??調子はどう?)」等と言いながら。

留学生が最初に戸惑うのは、このタイミングであろう。フランスにお住まいのid:dpiさんも、以前こんなことをおっしゃっていた。「ビズ」というのは「キッス」のフランス語版である。

女性同士のスキンシップはわからないではないにしても、異性同士でこれをやるのは「男女七歳にして席を同じうせず」の国から来た人間としてはかなり抵抗があります。タイミングがけっこう難しいのです。大勢でいるときは、周りが「チュッチュッ」とやり始めたらその流れに乗って自分も「チュッチュッ」とやればいいのですが、女の子と二人で歩いていて別れ道に来たときなど、「はてビズをしたものか」などと考えてるうちに間が空いてしまい、照れくさそうに手を振って「じゃあね」と言って別れることもしばしば。そんなときは何となく物足りないような寂しいような気持ちになります。(本文はこちらid:dpi:20050525)

微妙な心の揺れが分かりすぎるほど分かる、素晴らしい状況説明である。今でこそ全く抵抗なく、無ければ逆に物足りないと思ってしまうぐらいだが、確かに当初はわたくしもそうだったかもしれない。dpiさんの女友達は、いくら挨拶であるといっても、やはりビズは男性がリードしないと駄目だとおっしゃっている。イタリアと差があるとすれば、そこかもしれない。イタリアでは、何をおいても会ったらまずバーチョ、それがないと本当に何も始まらない。「男性から」とか「女性から」などと考える隙もない。道端で会えば、どちらからともなく歩み寄り、チャオと言いながらも既にキッスは交わしている、という同時性のものである。

ペルージャのように小さい街では、それこそ日に何人もの知り合いと出会う。特にわたくしは、地元のバールやらパブやらで毎日働いていたために、知り合いの数だけは一丁前で、例えばガリバルディ通りを歩いて200m上る間に、10人以上とバーチョを交わす、なんてことは普通にあった。もっと悪いことに、今バーチョを交わしている相手が誰だったか思い出せない、顔は分かるが名前は何だっけ?という状況も往々にしてあるということだ。相手はわたくしを覚えているし、名前も知っている。そりゃそうだ。客にしてみれば、「バール・アルベルトで働くニッポンジン」とか「ダウンタウンで朝まで働くニッポンジン」というのはわたくし一人であるから、非常に覚えやすい対象であるのだ。しかし、わたくしにしてみれば、毎日毎晩押し寄せる客をいちいち覚えてはいられない。

以前わたくしの両親がペルージャへ遊びに来たとき、チェントロのバンヌッチ通りを散歩していると、友達のフランチェスコに会った。わたくしとフランチェスコは、普通にいつものように、「チャオ!」バーチョを交わしたのだが、背後でそれを見ていたわたくしの母が「キャッ☆」と小さな叫び声を発したのを、わたくしは聞き逃さなかった。そういう文化であることは知っているし、テレビでも映画でも当たり前のように見るシーンだが、実際自分の娘が、イタリア人とバーチョを交わすのを見て、一瞬照れたようである。その後もわたくしが友達と出会ってバーチョを交わすたびに、後ろからそれを凝視する母の視線を感じた。

その夜「あのひと誰?バンヌッチ通りで挨拶してたひと。結構カッコウいいわよね♪」等と言い出した。「フランチェスコのこと?」びっくりである。全く持って普通のイタリア人で、わたくしからすれば背が高いだけが撮り得の、まさか外見で褒められるような美形タイプとは程遠いひとなのだ。そこで母の気持ちになって考えてみた。そしてわたくしなりに、解釈してみた。「フランチェスコは格好いい」この母の見解には、やはりバーチョを交わすというシーンが、強く働いているのに違いない。絵的にまいってしまったのであろう。

話がひどくそれたが、イタリア人のわたくしの友達はみな驚く。「ニッポンジンは挨拶するとき何にもしないの?1年ぶりに会うひととかでも?」以前留学を終えて、ニッポンへ旅立つ男の子がいた。わたくしの友人アンドレアも、その男の子と親しかったため、最後の夜は皆で1杯飲みにいったのだが。お別れのときになり、わたくしとその男の子は「じゃ、またね。日本で!」などと普通の挨拶を交わしたのに対し、アンドレアとその男の子は固く抱き合い、両頬にバーチョを交わした。その男の子が去ったあと、アンドレアはわたくしにこう言った。「こんな状況でもニッポンジン同士だとバーチョしないの?手にも触れないんだね?肩も抱かないし。もう会えないかもしれないのに?ニッポンのそこだけは、僕分からないよ。」

いろいろ、あるものである。