トイレに油を流すのか?

barmariko2005-05-04

SI BUTTA L'OLIO IN BAGNO?
イタリアにきて、トイレに使用済みの油を流すイタリア人にたくさん出会った。一番最初にその衝撃的なシーンを見たのは、実はイタリア人ではなくポルトガル人の知人アンナの家でだった。料理好きできれい好きで家庭仕事をやらせたら非の打ち所のないような彼女であるが、その日揚げ物に使った油をまるで当たり前のことかのようにトイレにジャーとやってしまったのである。言葉を失うとはまさにあの瞬間である。

イタリア人もしかり。油は当たり前で、例えば友人のアンドレアはメロンの種などもトイレに流していた。「何でトイレに流すの?!」「メロンのカスって臭うだろ?台所に捨てるとその後臭いが充満するからさ。」

別の知人ジョバンニの家でも使用済み油はことごとくトイレに流された。「トイレに流したら駄目だよ!水質汚染に繋がるじゃないの!油を水に流すなんて。」「何言ってるんだよ、トイレは汚物を流すところじゃないか。」「・・・・。汚物は汚物でも体を濾過した汚物でしょう。料理に使った油をそのまま流すなんて有り得ない!」「じゃあどうやって捨てればいいのさ?」
例えば「固めるテンプル」のような油を捨てるための市販凝固剤は存在しない。(少なくともペルージャでは見たことがない)しかしだからと言ってトイレに油をそのまま流すというのはひどすぎる。わたくしは牛乳の紙パックに新聞紙や入らない布を詰めてそこに油を入れ、燃えるゴミで出すようにしているが、イタリア人は「何で?」という顔をされる。

またゴミの分別の仕方にも驚かされる。正確には分別しないのである。若者や留学生(つまりよそ者)が多いペルージャの中心部などひどいものである。点在するゴミ捨て場には可燃用、不燃用、リサイクル用と3つのボックスが置かれるのだが(写真上)、きちんと分別されているとは思えない。溢れんばかりのゴミの山。そもそも瓶も缶もペットボトルも全部一緒なのである。さらに粗大ゴミも一緒であるから、ゴミ捨て場には毎日ベッドのマットレスやシーツや壊れた家具やステレオ、色んなものが生ゴミやペットボトルにまみれて積まれることになる。(写真はゴミ収集車が走り去った直後であるためゴミはない)

消費者の立場からすればそりゃあ便利である。粗大ゴミがいつでも好きなときに捨てられて、面倒なゴミの分別がないのだから。例えばわたくしの実家横浜市では「ゴミの分別」に関して、可燃、不燃、プラスチック、ペットボトル、資源ゴミ、衣類、乾電池・・・と覚えきれないほどの規則があり、捨てられる曜日が細かく決まっている。さらに地元の生協では、牛乳の瓶、卵パック、プラスチック容器のリサイクルが義務付けられている。そんな店、イタリアでは見たことが無い。

例えばそれ以外でもこんな例がある。以前わたくしの家に1ヶ月だけステイしていたドイツ人の女の子がいたが、彼女はわたくしたちの台所の流しに、水を溜めるための栓がないのを見て「まさか水を流しっぱなしでお皿洗いするんじゃないでしょうね?信じられない、溜め洗いしないなんて。これだからイタリアの台所は困るのよ」とあきれていた。そしてパスタを茹でる一番大きな鍋を出すとそこへ水を溜め、「今日からはこうやってこの鍋の中で洗いましょう」と言ったのである。正直私も自分の無頓着さが恥ずかしかったが、彼女はドイツやスウェーデンでは当たり前のことだと言い、イタリアは本当にひどい、と何度も繰り返していた。

イタリアで使用済み油をきちんと処理しても、ペットボトルや瓶や缶をきちんと分別していても、いざ捨てに行くと、全てが一緒になったゴミ袋の山に遭遇する。わたくしのやっていることに意味はあるのか。ペルージャのサンタ・エリザベッタ通り2番地にあるゴミ捨て場において、わたくしのゴミだけが分別されていたところで環境保護(そんな偉そうなものではない。もはや世界の常識、マナーである)にどれだけ繋がるのか。実に切ないイタリア生活である。