魚の食べ方イタリア編 

barmariko2005-05-01

COME SI MANGIA IL PESCE IN ITALIA
海に囲まれたイタリア、当然ながら皆魚が大好きである。ただやはり魚は肉に比べて値段も高く、更にここペルージャなど海のない地域では、スーパーはおろか市場でも魚が仕入れられてくるのは火曜日と金曜日の週2回だけ。従って「魚を食べる」ことは必然的にある種贅沢なこととなるのだ。勿論毎日豊富な魚介類が仕入れられるプーリア州やシチリア州ではまた状況は異なる。値段ははるかに下がり、鮮度も当然ながらアップし、食卓に上る頻度も高くなる。

イタリアにきて驚いたのは、イタリア人は魚の皮を絶対に食べないということである。例えばニッポンで「鮎の塩焼き」「鯵の塩焼き」を食べるとき、皮の下にこそ美味しい脂が詰まっているということは全員の知るところであり、香ばしく焼けた皮のパリパリ感が食欲をそそる、焼き魚を食べるとはそういうことである。

イタリアは違う。例えばわたくしの友人、煙草屋のシモーネの家で16人による大ディナーをしたことがある。(写真中央:教会工事のジョルジョ 右:フレスコ画修復士のフランチェスコ 二人とも魚を食べるのに夢中である)仲良しの教会工事のおじさん達がプーリア州の実家から陸揚げされたばかりの鯛を人数分運んできたからである。このプリプリの鯛は、塩をした後イタリアンパセリとともにアルミホイルに包まれ、庭の大きなバーベキュー用の釜戸で焼かれた。その味が素晴らしいのは当たり前であるが、鯛の皮を食べた者は一人としていなかった。
「皮は捨てるもの」であるから当然イタリア人は鱗処理をしない。ニッポンのように鱗を丁寧にそぎ落とす、あの手間のかかる作業が全くない。鱗がいっぱい付いた状態で調理されるから、皮を食べないのも当然である。ニッポンジンは皮も食べる、というと「うぇーー!皮は食べるものじゃないよ。鱗はどうするんだい?」と下手すると野蛮人のように扱われる。「鱗はきれいに取るのよ。ニッポンジンは皮の部分が一番美味しくて栄養があるのを知ってるから、そこを食べるために鱗を全部とるの。ニッポンは魚の国なんだから!」イタリアで何回この説明をしたか分からない。

イタリアでも魚のフリット(揚げ物)は人気である。小さめの魚に衣をつけて丸ごと揚げる。がしかし、食べるときに頭と尻尾とヒレは必ず外し、更に中骨もきれいに残すのである。これでは丸揚げの意味がない。めげずにわたくしは頭からパックリ食べるのだが、それを見たイタリア人は非常に驚く。「頭も食べるの?気持ち悪くない?」「骨なんか食べたら危ないよ」わたくしは答える。「高温で揚げてるから大丈夫、カルシウムたっぷりで美味しいよ。」

もう10年も昔の話、東京下町のフグ料理屋で私はアルバイトをしていた。イケスを悠々と泳ぐ鯵、その新鮮なタタキは店でも人気メニューだったが、残った骨の部分をから揚げにして食べるのが通とされていた。美味しい魚に残すところはないのである。そういう発想はイタリアに存在しない。ウナギの骨センベイなど、とんでもないであろう。ちなみにニッポンのオカキには小魚入りのものがあるが、あれもイタリア人は「気持ち悪い」といって絶対食べないし(トライ済み)、海老煎餅も苦手なようである。

イタリアのレストランで修行の日々を送る日本人女性がこう言っていた。「イタリア人て魚をさばいて残った頭の部分とか骨とか、全部捨てちゃうの、信じられない!この前新鮮な鯛とスズキを使ったんだけどね、皆さばくのヘッタクソだし、身がいっぱい付いたままでその骨も頭も全部ゴミ箱行きだった。ニッポンなら有り得ないよね。美味しい出汁もとれるし、使い道いっぱいあるのに!後で持って帰ろうと思ってコッソリ狙ってたのに、気づいたらもう捨てられてたよ。ああ勿体ない!!」

ところ変われば食文化も習慣も変わる。しかし魚に関しては、ニッポンジンとして譲れない部分があるし、魚大国としての自負が我々にはあるのだ。