ペルージャ外国人大学

barmariko2005-03-28


ペルージャ外国人大学(写真右手のレンガ色の建物)とは正真正銘イタリア国立大学なのだが、卒業に4年も5年もかかる普通の大学とは違い、5レベルにクラスを分け、レベル1から3までは大学というより語学学校として機能する。必然的にこのレベルを受講する学生が最も多い為、各レベル何クラスにも分かれている。わたくしがレベル2を受講していたときなどは、確か6クラスほどに分かれていたはずで、従ってかなりの大所帯である。

レベル4、5になるとより大学としての機能に近くなり、言語学コース、文化学コース、政治経済学コースの3コースから1つ選ばねばならない。例えばわたくしはレベル5で文化学を選択したのだが、6ヶ月で10科目以上の試験を前期・後期と2回受けなければならない。つまり20科目以上の試験にパスしないと修了証書はもらえない。文化学コースの科目としては、イタリア言語学、音声学、美術史(中世・近代・現代)、文学史(中世・近代)、イタリア史(古代・中世・近代)などがあげられる。中学以来、世界史すら勉強したことのないわたくしにとって、これは地獄であった。イタリア語でどころか、日本語でもわからない。さらに日本人にとっては最悪なパターンで、試験は殆ど全て口頭である。例えば世界史の試験では、自ら選択した史上の出来事を教授の前で15分語らなければならないのだ。苦肉の作でわたくしは「十字軍遠征」「フランス革命」について説明したのだが、あれほどつらいものはない。

ところで悲しいかな大学内には、いつまでたっても喋れない東洋人をはなから無視する教授がたまにいる。クラスには当然世界各国から集まる学生がいる。テン語を源とする母国語を持つヨーロッパ圏や南米圏、フランス語を操るアフリカ圏の学生と、全く仕組みの異なる言語をもつ東洋人とでは、語学習得能力に千も万もの開きがあるのは当然である。しかし教授によっては、喋れない、質問もしない、「スィー、スィー」としか言わない東洋人を非常に扱いにくい対象とし、授業中に意見を求めることすらしなかったりする。

逆に東洋人をいつも温かく見守り、着にかけてくださる教授もたくさんいる。試験ではわたくしたちに甘い評価を下さる。中世文学史の口頭試験を受けたときも、わたくしの教授は「日本人が原語でダンテを読むのはさぞかし大変だっただろう。」といってその努力を評価し満点を下さったのである。

思い返せば千差万別な教授がいる。例えばレベル3の教授、シルベストリーニ。彼はペルージャ外国人大学における権力者であるが、日本人が好きで中国人は嫌い、女の子は好きだが男の子はだめ、という思想が丸見えだった。可哀相な中国人は100人もの学生の前で、その発音が悪いと何度も駄目だしをくらい「もっと大きな声で!違う!違う!」と彼にやりこまれ、いや苛められていた。更に彼のセクハラが密かに学生の間でも問題になっていた。ある日本人の女の子が教授の車に乗せてもらったことがある。たまたま道で出会ったらしいのだが、ミニスカートをはいていた。「試験のときもこれはいてきてくれる?」と言われびっくりしたそうだ。実際試験中のエコヒイキも凄まじかった。筆記試験の最中、試験監督として見回りをするシルベストリーニに答えを教えてもらった日本人女性の数は計り知れない。(勝手に教えてきたのであるから私たちの責任ではない)
同じセクハラといっても、可愛らしいのがレベル4、5の現代美術の教授。女の子が大好きで大好きで仕方ないというのが端からもよく分かる。休み時間ともなると女子学生の席へいって隣へ腰をおろし、おしゃべりに余念がない。彼は特に日本が大好きで、それはフランス現代美術にもたらした日本絵画の功績を称えだすと止まらない彼の授業風景からも伺える。そして例にもれなく日本人の女の子が大好きなのである。しかし何かされたという話はきいたことがない。口頭試験で何も話していないのに満点を下さるくらいである。

わたくしが初めて彼の口頭試験を受けたとき、どんな展開になるのか予想もつかないのでとりあえずクリムトについてのレポートをまとめ、説明しようと思っていた。しかし教授の部屋へ入ると「いやあ今日はいい天気だね。ほら僕の部屋のテラスからはペルージャが一望できるんだよ、きてごらん」と外へ招かれ、お喋りすること5分。「こんな素晴らしい風景が毎日見られるなら、どんな絵画もつまらないでしょう」とわたくしが言うと「ブラバー!分かってるね」部屋に戻ってさあいよいよ試験開始、クリムトのことを説明し出すと「ストップ、ストップ。そんなことより君は日本では何をしていたの?」「どうしてイタリアを選んだの?」「大学では何を学んだの?」と次から次へと続く質問。あっという間に15分の試験は終わってしまった。クリムトのことには全く触れずに。しかも試験結果は満点だった。「あのう、わたくしが思うに満点を頂けるような美術の話は何もしていないと思いますが」「何言ってるんだ。新しい人との出会いはいつも美術の原点だ。僕は今日君という日本人学生について少しでも知ることができた、これは立派な美術だよ」とおっしゃったのである。

こんな教授もいる。わたくしがレベル5を受けていたとき、イタリア語文法のある女性教授が突然変貌した。人種差別などとんでもない、非常に有能な教授で、わたくしは好きだった。教え方がどこかニッポンの予備校に似ていて、スピード感があったのである。しかし彼女はよく遅刻してくるようになった。そして怒りっぽくなった。宿題を忘れた学生にヒステリックに怒鳴りちらし、教室を出ていってしまったこともある。「1本吸わせて頂ける?とてもじゃないけど、やってられないわ」と授業中に教室で煙草を吸い出したこともある。そのうち学生の中であるうわさが持ち切りになった。「彼女、いつもアルコールの匂いがする」「授業中、手が震えてる」彼女は多分アル中になってしまったのであろう、というのが100%学生の見解だった。アルコールが切れると怒り出す。授業の途中に出ていってしまうのはアルコール補給するためだとみんな言っていた。

いろいろな教授がいるものである。ひとつ、やっぱりイタリアだと思うのは、教授の遅刻、連絡もなしに起こる休講が非常に多いということである。待てど暮せど教授はやってこない。教務課へ聞きに行っても誰も知らない。30分待って痺れを切らし、みんなでお茶を飲みに行ったことが何度もある。新学期など最悪である。時間割に間違いがあることが多く、授業がだぶっていたり、教授のほうも正しい教室や時間を把握していなかったりで、授業が潰れることがしばしばある。いつもこうなのだ、イタリアは。