恐るべし、イタリア電車

それでも昔に比べたら、はるかによくなったのだ、イタリア電車は。イタリア人はそう口を揃える。「ちゃんと、来るじゃないか」ってさ・・・おい。確かにやってきた10分遅れで。9日の夜、ローマでわたくしが待っていたその電車は。そもそも午後18時を過ぎると、ローマからペルージャへ辿り着くのは非常に難しくなる。というのも、ペルージャ行き直行電車がなくなってしまうからだ。ペルージャ行き最終バスも18時であるから、わたくしたちは電車を乗り継ぎ乗り継ぎ、非常に遠回りな旅をしなくてはならいのである。

さてわたくしがローマで待っていたこの電車は、トスカーナの古都アレッツォ行きのインタシティーである。そのアレッツォで15分待ちの後、ペルージャ直行のユーロスター(イタリアの特急電車)に乗り継ぐことになっていた。イタリアの地理に詳しい方はお分かりかもしれないが、この行きかたは、トスカーナ州経由で遠回りなだけでなく、しかも中途半端にユーロスターに乗らなければならないので、お金もかかる。

確かに、このアレッツォ行きのインターシティは、たったの10分遅れでやってきたのだからイタリア風に言えば、問題なし、なのである。遅れたうちにも入らない。が心配なのは、アレッツォでの乗り換え時間が15分であることだ。万が一ペルージャ行きユーロスターに乗り遅れるとそこからテロントラと言う小さい街へ移り、深夜の中距離バスを使うかまたは・・・ホテルを探して泊まらなければならない。

まあそんな不安は心配無用だった。アレッツォに着いたわたくしは駅員さんに「ペルージャ行きのユーロスターはこのホームでいいんですか?」と聞いた。「そう、3番線だよ。10分遅れで到着するから、もう少し待ってて。次に来るやつがそうだから。」ああ、良かった。やれやれ。隣にたまたま居合わせたナポリ訛りのひどい女性が「そうやって全部の電車がちょっとずつ遅れるなら、それはそれで機能するのよねえ!」と大笑いしていた。確かに。さらに隣にいた別のイタリア人男性も、「じゃあちょっとタバコでも買ってこようかな」と余裕の笑顔。わたくしたち3人は「これで無事ペルージャへ着ける!」とほっと肩をなでおろしていたのだ。

反対側のホームには、大声で怒鳴りまくっているシニョーラ(おばさん)がいた。スーツケースを抱えている。どうやら、電車に乗り遅れたらしい。しかもそれが駅員のせいだというのだ。「1番線って言ったのよ!だからわたしたちみんなここで待ってたのに!ちっとも着やしないじゃないの。挙句の果てに、電車は4番線に到着したのよ!こんな荷物もってね、階段乗降りして別のホームになんて行けっこないのよ!何で1番線って言ったの、アイツは!ここで働いてるんじゃないの!?これじゃ飛行機に間に合わない!どうしてくれるの!?」悲惨なひとがいるものである。駅員と言えば・・・勿論知らん顔である。「言わせておけ」くらいの涼しい顔である。
そこへ到着したペルージャ行きインターシティ。予定通り10分遅れである。わたくしたち3人は颯爽と乗り込んで・・・絶句だった。まず、わたくしたちが乗り込もうとした車両のドアは、壊れていて開かない。錆付いていてうんともんとも言わない。仕方なくドアの開く車両まで走り、やっと乗り込んだ。更に。何かすごい強盗でも入ったのか、ここは?と思うくらい、客室は凄まじい崩壊ぶりだった。壁にも窓ガラスにも落書き、座席には破れたシートカバー、電気が切れて真っ暗な車両まである。ふと見ると真っ黒な手。ドアや座席が汚れているのだ。指でそっとシートをなぞると、確かにすすがついたように真っ黒になる。そしてかび臭いこもった空気。今までイタリアでこんなひどい電車にめぐり合わせたことはない。

車掌さんが切符きりにやってきた。ナポリ女性が「ちょっと、この電車何時にペルージャへ着くの?弟が迎えにくるのよ。」「ペルージャペルージャになんて行かないよ。テロントラまでは一緒だけどそこから別の方向さ。」「・・・・・・!」わたくしたち3人は絶句した。さすがナポリ女性、わたくしのかわりに全て見事に代弁してくれた。「ちょっと、どういうこと!?アレッツォの駅員が、3番線にやってくる次の電車、つまりこれのことよね、がペルージャ直行のインターシティだって言ってたのよ!どこへ消えたのよ、わたしたちの電車は!」「ああその電車ならこのすぐ後ろを走ってるよ。僕らこの電車は遅れなしで、定刻にアレッツォに着いたんだ。その5分後に到着したのが、君たちが乗るはずだった電車さ。」わたくしたち3人は言葉を失った。

「おいおい、あのアレッツォの駅員がこの電車に乗れって言ったんだぞ!」「10分遅れって言ってたわよ、きっかり定刻の10分後にやってきたのがこれだったのよ!」「いやだから、僕らのこの電車は遅れてないんだって。その後更に5分後に到着したのが、その車掌の言う君たちがのるべき電車だったんだ。」「そんなことより、わたしたちはどうすればいいの!?今どこへ向かってるのよ!」そうだ、それが一番大事である。どこか見知らぬ駅で降ろされて、このうるさいナポリ女ともうひとりのイタリア人オトコと、どこかに泊まるはめにでもなったら最悪である。

「この電車は次にテロントラに止まるんだ。そこで君たちは降りて、もう5分待てばいいよ。君たちがのるべき電車も次はテロントラに止まるから。5分後にね。」やれやれ。わたくしたちはテロントラに到着次第直ぐに乗り継ぎができるよう、荷物をまとめてドアの近くに移動した。とそこで安心するのもつかの間、後方からゴーッと聞こえる音。なんと、迫りくるのは、別の電車。わたくしたちと同じ方向に向かっている?ということは?この今まさにわたくしたちを追い抜こうとしている別の電車、これこそがわたくしたちがあと5分後に到着するであろうテロントラで、乗り継がねばならない電車なのである。

なんとしてでもこの電車より、わたくしたちの電車は先に到着しなけければならない。しかしそんなことは露知らず、であろうこの迫り来る電車は悠々とわたくしたちを抜いていこうとしている。そもそも、わたくしたちの電車より5分遅れでアレッツォを出発しているのだから、テロントラ到着もわたくしたちより5分遅れであるべきなのである。変な気を起こして途中で追い越したりなんぞしないでくれ。全くこれだから、イタリアのダイヤは滅茶苦茶なのだ。さすがに今夜のわたくしたちの運命がこの2列車の競争に委ねられているわけで、ナポリ女は車掌に食って掛かった。「もっと早く走らせなさいよ!今抜かれてるじゃないの!テロントラで先に奴らに行かれたら、わたしたち今夜どうしたらいいのよ!頑張れ、この野郎!抜けーー!抜かせー!」

とんだ列車バトルである。最終的にわたくしたちの電車は無事に、後方からやってきた電車を抜き返し、テロントラでは乗り継ぐことができた。全く冷や汗ものである。それにしても、思い返せばあのアレッツォの駅員。あいつは全く列車のダイヤを把握してないではないか。もうひとり駅で怒鳴っていたシニョーラといい、何時に何番線にやってくるか、全くインフォメーションできてないのである。そういうやつに限って自信たっぷりに答えるのだから、全く安心できたものじゃない。それにしても早速待っていたイタリアの儀式。無事ペルージャに着いたからこそ言えるわけだが。