タバコ屋のシモーネ、ペルージャ市長と会談する

barmariko2005-04-06


実は2週間ほど前、シモーネ(写真右。タバコ屋にて)はコリエレ・ディ・ウンブリアという地方新聞社に電話をし、「ガリバルディ通りの現状について取材しにきてもらえないか」と話を持ちかけていた。早速やってきた新聞記者たち。数日後にはある記事が紙面を飾っていた。ガリバルディ通りは、10年前の活気のあるゾーンから一転して、人通りも減り物価と家賃だけは上昇を続け、大学に近いだけが取り柄となってしまった。昔は教会前の広場(つまりバール・アルベルトの前)にはテラスが並び、夏は日光浴するひとや観光客でごった返し、夜遅くまで人通りが絶えなかったのに、今は教会工事や相次ぐ道路工事、水道工事で通りは常に行き止まりと一方通行が強要されている。商店は閉店を強いられ、新しい店がオープンしては数ヵ月後には消えてゆく。今こそ復興が必要だ・・・

(今までのシモーネのお話はこちら)
http://d.hatena.ne.jp/barmariko/20050118「バール・アルベルトの人々2」
http://d.hatena.ne.jp/barmariko/20050228「インターネットポイントオープンなるか、シモーネ」
http://d.hatena.ne.jp/barmariko/20050314「インターネットポイントオープンなるか、その後」

シモーネやアルベルトだけではない。ガリバルディ通りの全ての商店がこの現状に目を覆い、毎日レジ閉めを行う度にため息をつくのだ。さらにこのゾーンの家賃が高いことは、もはやペルージャ中の知るところである。しかし設備が整って清潔な家なのかといえばそんなことはない。10年前いやもっと昔から全く変わらない、剥げた内装に出の悪い水道、崩れかけた壁、と全く手入れが行き届いていないこともある。しかし家賃だけは一丁前に高騰を続けているのだから、住むほうからすれば大変な迷惑である。

そして数日前、シモーネとアルベルトはついにペルージャ市長レナート・ロッキとこのガリバルディ通りの現状について話すチャンスを作り、会談に至ったのだ。しかしシモーネは憤慨していた。「ロッキはまず俺に釘刺ししたんだよ。新聞社に電話をして取材を受ける前に、市長である自分に連絡をしろってさ。何言ってんだよなあ!俺は別に市長のために動いてるわけじゃない。そもそも俺からすれば、まず新聞にこの現状が書かれてしまったから、市長として何らかの回答をせねばならず今回すんなり面会できたのさ。先に公の場に公表してしまうほうが、その後早いってもんだ。」
彼らは市長にある提案をした。バール・アルベルト前(教会前)の広場は現在教会工事のために閉鎖されているが、広場自体は何も変わっていないのである。ただ工事のトラックや積み上げらた瓦礫のためのスペースとして閉鎖されているだけなのだ。しかしこの広場があるのとないのとでは、近隣の商店にとって千も万もの差がある。そこでせめてこれからの季節、春・夏にかけて一時的に広場を開放してもらえないか。そして売店やテラスや青空マーケットを併設できないか。

イタリアにおいて「広場」の持つ重要性は大きい。イタリア人は広場をこよなく愛し、そもそも全ての街は広場を中心に発達したのである。まず広場があってそこから四方八方に道が延びてゆく。道と道が交差するところにも小さな広場が生まれる。ひとつの街に一体幾つの広場があるのか計り知れないが、どんなに小さい広場にも必ず名前がついている。朝に夕に人々は広場へ集まり、情報交換をし、市民の憩いの場として重要な生活の一部であることは誰もが知ることだ。

市長は前向きな姿勢を見せ、議会で検討すると答えた。教会工事も今年の6月で終わる予定らしい。とはいえ予定は変わるのがイタリア、そもそもこの工事は1年半以上も長引いているのである。6月末には国際的なお祭り、ウンブリア・ジャズ・フェスティバルが始まり、世界中からミュージシャン、観光客がこの小さい街に押し寄せる。何としてでもその時期に間に合わせたい、というのがガリバルディ通り全体の願いである。とはいえ市長の前向きな対処、というのも日本以上にあてにならない返答であるから、この会談の結果は「スペリアーモ・・・(これからに期待しよう)」だけである。