バール・アルベルトの人々2

barmariko2005-01-18

バール・アルベルトのことを書く度に、反響が大きすぎて笑ってしまう。「ねー、話誇張してない?」「アルベルトさんて実在するの?」
200%真実で描かれる人たちは全て実在し、スーパーフィクションである。想像の域を超えたその仕事ぶりは創造できるものではない。未だわたくしだって「信じられない、有り得ない」の連続なのだから。

そんなバール・アルベルトだが、素晴らしい出会いはたくさんある。その筆頭にあがるのが、バール・アルベルト隣のタバコ屋のシモーネ、バール・アルベルト正面にある教会の修復工事のおじさん達。彼らはどんな時もわたくしの見方でいつも心配してくれて何というか、愛情深いのだ。イタリア語ではaffettuoso(アッフェットゥオーゾ)という。彼らはみな、わたくしの大切なかけがえのない友達である。

タバコ屋のシモーネは36歳で、今年12歳になる子供がいる。今から10年前に交通事故で右足を失い切断した。当然松葉杖での毎日だが、車も運転するし独りでどこへでも出掛け、健常者顔負けの行動力。当時は1年半に渡る病院生活の中生きる気力を無くし、荒れ放題だっだというが、今はそのカケラも見せない。ペルージャ訛り丸出しで口は悪く、そのくせ理屈っぽくお喋りで一度話し出したら止まらない。彼は当然イタリア語で喋るのだが、日本語に訳すとしたら「俺はよ〜、片足ね〜からよ〜、」的口調であることは間違いない。

実はシモーネは10年間働いたタバコ屋を12月いっぱいで辞めてしまった。足を切断してからようやく生きる気力を取り戻しガリバルディ通りのタバコ屋として働いた10年間、そこに終止符を打つのは寂しいことであったに違いない。しかしながら経済的理由というのはいつの時代も避けられない。
この1年、ガリバルディ通りの衰退は目を覆うものがあった。まずトニーのインターネットポイント、バール・アルベルトから2軒先のフランチャイズのパニーノ屋、朝まで営業していた貴重なパブ「ブローパルト」、そして最後がこのシモーネのタバコ屋。正確に言うと彼は他の人にタバコ屋の権利を譲渡したので、タバコ屋自体は今もなお存在するのだが、シモーネはもういない。

ちなみに、こんな不況の中なぜバール・アルベルトが営業し続けられるのかというと、答えは簡単アルベルトが資産家でボンボンだからである。

そしてバール・アルベルトの超VIPを忘れてはならない。バールの正面に聳え立つ教会の修復工事のおじさん達である。ジョバンニが二人、ドメニコ、ジュセッペ、ジョルジョ、サルバトーレの6人チームだ。毎日朝7時から夕方5時までみっちり働く間必ず3回バールに立ち寄る。
忘れもしないわたくしが初めてバールで独りで働いた日。カプチーノを恐る恐るいれるわたくしに「あんたもしかして、人生初めてのカプチーノ作ってるのかい?」とからかい続けたのだが、そのカプチーノを作り終わった瞬間「ニッポンジーン!ブラバー!!!!」「初めてのカプチーノに拍手!!!」と6人全員が大騒ぎ。その日から私達の友情が始まったのだった。

彼らは皆ランチの後カフェを飲みにくるのだが、6人それぞれ好みが違う。ジョバンニはカフェ・ルンゴ(薄めのエスプレッソ)にストラベッキオというブランデーをスプーン1杯滴らす。ドメニコはカフェにサンブーカという薬草からできた食後酒をスプーン1杯滴らす、というように。とにかく全員が何らかのリキュールをほんのちょっと滴らす、という点では同じなのだが、「アルベルトのカフェは不味いからさ、味を隠すためにリキュール滴らさないと飲めないんだよね」「リキュールを滴らしてまでこのカフェを飲んでる俺様達は相当オーナー思いだ」とのたまう。

そして勿論、通常ならカフェにリキュールを滴らすカフェ・コレットというのは料金増しで1ユーロ(140円)なのだが、彼らは当然ノーマルなカフェの料金(0.7ユーロ)しか払わない。しかも飲み終わった後に、「うーん、何か口の中にあの不味いカフェの苦味が残るなあ・・・もうちょっとブランデー滴らしてくれよ、口濯ぐから。」と何だかんだ言ってリキュールのお代りをする。勿論タダで。

教会から彼らの姿が見えると、わたくしは徐に全員分のカフェをいれる準備を始め、彼らの好みのリキュールも全部カウンターに並べる。それを目にした彼らは、「おおお。もう全部用意されてるのかい?これがアルベルトだったら・・・有り得ないな。未だに何飲む?って聞くからな。」
彼らはよく夕食にも誘ってくれる。食事当番はジョルジョである。彼は本当に凄い。毎日仕事の後にビールをひっかけにくる他の連中と違い、彼は真っ直ぐ帰宅し全員の夕飯の準備にとりかかる。そんな訳でついた渾名が「マンマ・ジョルジョ」。皆のお母さんと言うわけだ。彼らとの夕飯がどんなに楽しいかはまた別の機会に。だって美味しすぎるから。

まだ修復中の教会の中へも招待してくれた。「俺達は誇りを持って仕事してるからさ、マリコにも全部見せてやるよ」そう言って瓦礫の中を案内してくれたのだった。教会の奥には、一般の人は入れない天井へ登る階段があり、そこを上り切るとペルージャの素晴らしい街並みが突如現れる。「凄い眺めだろ?ここは俺達だけの秘密の場所みたいなもんだよ」ちなみに誰も入ってこないのをいいことに、教会の中には冷蔵庫やテーブル、ワインのボトル等が置かれていた。

須賀敦子氏のエッセイに出てくるような、「ミラノで○○公爵の末裔と出会った」、「イタロ・カルヴィーノ(イタリアを代表する文学作家)とお話した」、というようなイタリアでの華やかな出会いを期待しているわたくしの母(ペルージャで弁護士、医者、会計士あたりもOKらしい)には大変申し訳ないが、ペルージャでしかもバール・アルベルトで働くわたくしを取り巻く出会いとはこういうことである。

バール・アルベルトには当然ながら嫌な客もたくさんいる。むしろ6割がそうである。常識がなかったり、いつも酔っ払っていたり、しつこかったり、外国人であるわたくしを馬鹿にする言動もちらほら。シモーネやジョバンニやドメニコがいなかったら、わたくしはバール・アルベルトで孤立していただろう。こんな風にバール・アルベルト日記を書く余裕もなかっただろう。