バール・アルベルトの現状報告

全くこんないい加減なバールはみたことがない。オーナーのマッチョなアルベルトさんは善を絵に描いたような素晴らしい人柄の持ち主だが、自分のバールに全く興味がない。スポーツ、カヌー教室、大好きなバイクと車で頭はいっぱい、バール経営には微塵もパワーを注がない。愛車アルファ・ロメオ・クラシックの部品がネジ1個でも欠ければ直ぐに注文するくせに、バールの砂糖がなくなっても客に言われるまで気づかない。所詮金持ちのボンボンが亡き父から店を受け継いだだけなのである。

結果バール・アルベルトはどういう状況なのかというと、簡単に言えば「欠品・破損の宝庫」。生ビールがない、食前酒の主役カンパリやマルティニ・ビアンコがない、イタリアの食後酒ルカーノがないモンテネーグロもない、イタリアのブランディーストラベッキオがない・・・これらはいずれもイタリアのバールを語る代表選手であり、これではお客さんは一体何を飲めばよいのかということになる。

アルベルトは買い出しに行くのが大嫌いで、日々の追加発注というものをしない。1本や2本の欠品には目をつむる。棚の酒が殆どなくなり、このバールには何にもないと客から言われるまでじっと待ち、ようやく重い腰をあげてアルファ・ロメオのハンドルを握り買い出しへと走る。しかし何故か各1本ずつしか買ってこない為、数日後には元の木阿弥、何にもないバール・アルベルトとなるわけだ。

更になんとバール・アルベルトにはここ3ヶ月ワインがない。ここは本当にワイン原産国イタリアか?日本のカフェにだってワインはもはや当たり前、それがバール・アルベルトにはない。「ワインが赤も白もずっと切れてるよ!」と文句を言うと「ワインを置くと酔っ払いのルカが全部飲んじゃうだけだから。しかもちゃんと払ってくれないし。ルカに酔っ払って大暴れされるよりは、ワイン置かないほうがマシだよ。だからこれでいいんだ。」って一体どんな理論なのか。確かにルカはワインをがぶ飲みしていつも酔っ払っている。冷蔵庫の奥に隠しておいても勝手に探し出して何時の間にか飲んでいる。ヒドイ時にはボトル直接ラッパ飲みである。しかし、だからといってワインを店から排除するというのはあまりに短絡的である。明らかに排除すべきはルカである。

想像して頂きたい。グラス1杯の赤ワインを頼むお客さんに「ワインないんです」と言わなければいけない恥ずかしさ。「え?ないの?じゃあ白でもいいよ」「白もないんです」・・・。「じゃあ何があるの、このバールには!?緑茶かい?ここはニッポン化しちまったのかい?」わたくしのせいではない、しかしこういう客からの返しは非常に屈辱である。
リキュール以前の大問題はまだある。イタリアのバールというのは日本でいうコンビニや駅のキオスクのような役割を果たしている。つまり店先やレジの横にはガム、飴、チョコレート等が駄菓子やのように並び、ペットボトルの水やコカ・コーラの並ぶ冷蔵ケース、アイスの詰まった冷凍ケースがあるはず、なのだ。通常は。

しかしバール・アルベルトにはガム・飴等が全くない。アルベルトさん曰く「昔はおいてたんだけどね、すぐ盗まれちゃうんだよ、ああいう細かいものは。だからやめた。」・・・おいおい。ガム1個飴1個の盗難は店をやってれば当たり前、それを恐れて店から品物を排除するというのは非常に極端な店舗経営理論である。

更に驚くべきことに、水のペットボトルが1ヶ月も売り切れ御免状態である。日本と違ってイタリアでは水は無料ではなく買うもの、それがコップ1杯であっても通常約15円払わねばならない。しかしバール・アルベルトは水無料、何故ならミネラル・ウォーターが未だに到着しない今ここにあるのは水道水のみだから。「ミネラルウォーターのないバール」ペルージャどころかイタリア中探してもここくらいである。

今年の8月9月はあの暑さの中、アイスが全品売り切れであった。アルベルトをよく知ってる常連は「夏が終わる前に届くといいけど、アイス」と苦笑していたが、結局届いたのは10月秋の到来とともにだった。真夏の盛りに生ビールも切れっぱなしだった。2、3日もするとアルベルトの言い訳も変っていた。「生ビールサーバーは届いたんだけどね、ガスがね、切れちゃって。生ビール出ないんだよね」そして何とようやく生ビールが届いた日、ビールグラスは2つしかなかった。アルベルトが洗浄機のカゴごと床に落としてグラスを全部割ってしまったのである。

驚くことなかれ、バール・アルベルトの一番の問題はカフェ・マシーンである。先代の遺品、超アンティークなカフェ・マシーンは全然言うことを聞かない。中のプレスが完全に壊れていて、エスプレッソに大事なキメ細かい泡が抽出されない。カフェ・マシーンは非常に繊細なもので、フィルターや抽出口は日々丁寧に掃除せねばならず、どんなに急いでも仕事後のこの掃除には最低30分はかかる。アルベルトがこの掃除を15年ほどサボった結果生まれたのが、我々の素晴らしくクリーミーで苦味の強いエスプレッソなわけである。

わたくしのせいではない。明らかにマシーンのせいである(いや、アルベルトのせいである)。誰が煎れても同様にヒドいエスプレッソ。むしろカプチーノはどう見てもわたくしが一番まともに煎れている。しかし常連はともかく初めてのお客さんや観光客は、わたくしの煎れたエスプレッソに泡が全然のっていないのを見て(こんな外国人に店まかせるからよ)(エスプレッソはやっぱりイタリア人が煎れないと)(チャイニーズじゃあね・・・)という顔をされる。これが一番の屈辱なのだ。

最近自分がイタリア人化していると思うのは、堂々と言い訳、ではない事実釈明するようになった点だ。「バール・フランコでカフェ煎れてたときは、目つぶっても最高のカフェが抽出できたのに。ここのマシーンは最低、アルベルトは全く手入れしないし、圧力が全くかからないのよね」「エスプレッソ飲むの?よくそんな勇気あるわね、わたしなら飲まない。カプチーノにしなさいよ、わたしのカプチーノはアルベルトのより100倍美味しいから」自分の身は自分で守らないと、外国人だからって馬鹿にされるのは御免である。

しかし同僚のマウリッツィオは言う。「マリコの言うことはもっともだけどね。考えてもみてよ。イタリア人である僕がこんなエスプレッソ煎れてるんだよ。恥ずかしさはマリコ以上だよ!」

以前にも述べたが、アルベルトは毎日体の不調を客に訴え何かしら愚痴っている。「細胞が粉々だよ」「首が動かない」「蜂にさされた(これは今年の8月の事件だった)」「頭が痛い、体の中で何か異変が起こっている」「こんな急激に寒くなったんじゃ体がついていかない」・・・常連ももう慣れたもので、アルベルトの満足するような返答をしつつ適当に聞き流している。「きっと疲れがとれていないんだよ、きっちり休まなきゃ」
しかしアルベルトがいなくなったとたん、彼らの態度は見事に変わる。「疲れたってさー、仕事以外のことに力注ぎすぎなんだよ。カヌーとバイクの疲れだろ?そのお金でカフェマシーン幾らでも買い換えられるのにな」

店のレジの後ろに飾ってある先代の写真。常連客は「オヤジは出来た奴だったよ。仕事に対する情熱があっていつも店には物が溢れてた。・・・まあ大抵こういうオヤジの後はこういう息子が出来るんだよな」

ああ、わたしならまずカフェマシーンを入れ替えるのに。わたしなら絶対リキュールもワインも絶対切らせないのに。わたしなら絶対食前酒タイムは前菜サービスにするのに。わたしなら絶対パニーノ手づくりするのに・・・ああ、アルファ・ロメオ・クラシックのネジ1個でいろんなことが出来るのに!毎日こうして適わない夢を見ながら、わたくしのバールでの一日は過ぎてゆく。ニッポン人のわたくしにとって、これほどモチベーションの下がる職場はない。

でもアルベルトは皆から愛されている。