料理が出来ないイタリア人(フランチェスコの場合)

CHI NON SI PUO CUCINARE
わたくしの同居人ロセッラの友達に、今年36歳になるフランチェスコという男がいる。ロセッラの、というよりは、もともとロセッラの彼氏ステファノの親友である。彼らは10年来の友達で、若いときはギター片手にスペイン・ギリシャと放浪し、ペルージャでも街中のバールやパブで引き語りライブをやっていた。

現在、ステファノはわたくしの働くパブ、ダウンタウンのオーナーに落ち着き、フランチェスコペルージャ大学の哲学科を卒業した後、隣町の養護施設で精神に障害を持つ子供たちの先生をしている。

ちなみにフランチェスコ雇用契約なしで、時給わずか7ユーロ、しかも1日たったの5〜6時間というまるでアルバイトといった働き方をしている。これが、イタリアの現状だ。大学を出ても、雇用契約すら結んでもらえないわけで、当然そこには保険もなければ有給もない。ひたすら時給で働く、何の保障もないただの労働者である。

お客としてダウンタウンに頻繁にやってきていたフランチェスコとは、非常に自然な流れで知り合った。そしてある日。ご飯でも食べない?とフランチェスコに言われたわたくしは、まあロセッラやステファノの友達なんだし、落ち着いて喋るのも楽しいに違いない、とかなり前向きな信用度で持ってOKしたのだった。

「ねえ、ロセッラ。わたしフランチェスコからご飯に誘われたんだけど」「へえー、どこ行くの?ピッツェリア?」「それが・・・フランチェスコの家。何か作ってくれるんだって」「ほんとに!?あいつが料理できるとは思えないけどなぁ!」「どうしようかな?」「どうしようって、行ったらいいじゃないの、友達なんだから。」

そんなわけでOKした、フランチェスコ宅でのディナー。さて、余計な説明は省こう。何がって、わたくしは驚愕の事実を見てしまったのだ。キッチンで繰り広げられたこのシーンをとくとご覧あれ。

「何にもないんだけどね。トマトソースパスタでいいかな?」「(まあ謙遜しちゃって)いいよいいよ、トマトソース大好き。シンプルなものほど難しいって言うよ?」
「パスタも茹で始めよう。タイマーをセットして・・・きっちりアルデンテに茹で上げなくちゃね。僕はイタリア人だから」「(むむ、タイマー使いとはちょっと几帳面か?)勿論そうだよね、アルデンテにお願いね」
「ソースなんだけど・・・僕のお勧めはこれ。バリラのシンプルトマトソース。あ、ピリ辛シチリア風ソースもあるよ。どっちがいい?」「(な、な、なんだー!?スーゴ・プロント(=出来合いの缶詰ソース)じゃないかー?トマトソースくらい作れよー)・・・普通のシンプルなトマトソースで」
人を招待しておきながら、缶詰を開けられると本当にぴっくりする。いや、そんな我侭を言ってはいけない。イタリア人だからといって皆が皆パスタを作れるかといったら、そんなことはない。ニッポンジンが皆寿司を握れるか?握れない。料理が出来ないのにもかかわらず、わたくしとご飯を一緒に食べたかったということか?きっとそうに違いない。それなら可愛いものではないか。いやしかし、前もって「料理はできない」と言ってくれれば、こちらも何か用意したのに・・・いやそれでは彼のプライドも傷つくのか?いやこの缶詰ソースを食べながらワインを飲んでいる時点で、プライドも何もないだろう・・・

頭の中がぐるぐる回転し、パスタをよそってくれるフランチェスコに70%くらいの微笑みしか返せない自分がそこにいた。「ボーノ?(=美味しい?)」「勿論!美味しいよ、わたし好きだな、この味。(大うそつきである)」「あんまりたくさん食べちゃ駄目だよ、第2の皿もあるからね」「(ま、まじで!?どうやって調理するというんだ?冷凍ものをレンジでチンとか?)え、まだ作ってくれるの?」「勿論。君はお客様だからね。ツナは好き?」「あ、大好き!(げ、何を食べさせられるんだ?)」

視線釘付けとはまさにこのことである。フランチェスコは、棚からツナの缶詰を取り出すと、缶きりでギコギコ蓋を開け、そして・・・そのまま皿に盛ったのである。「食べる直前に、オリーブオイルを一たらしすると美味しいんだよ。イタリア風にね」「・・・。」

直前に1滴のオリーブオイル、それくらい知っている。しかし!それは手作りパスタソースやミネストローネの上にのみ有効な方法であって、ツナ缶に一たらしとは!そもそもイタリアのツナ缶は既にオリーブオイル漬けじゃないか。そこに何の意味があるって言うんだ。

「ハムかサラミは好き?パニーノにして食べる?」「(こうなりゃ全部食べてやる)有難う、おなかいっぱいだけど、せっかくだから貰うよ。」このイタリアの逸品生ハムとサラミくらいである。その日わたくしが心の中で何の突込みもせずに食べることができたのは。結局全て出来合いのものばかりで、「フランチェスコのディナー」は幕を閉じた。

どこの国にもやはりいるのである。何もできない人が。全く毎日何を食べているのだろう?しかし典型的なイタリア男の例にもれなく、フランチェスコは毎週末を両親のいる実家で過ごす。美味しいものを食べ、マンマが作ってくれる手土産を持って帰る。(出来ればそちらを食べたかった)

料理ができないこと勿論短所ではないし、悲しいかなニッポンだって同じ。男性はおろか女性でも料理をしない、というより興味がないひとは多い。しかしそれにしても。かなり興ざめのディナーだった(すまない、フランチェスコ)ていうかねぇ、36歳独身男が、トマトソースくらい作れなくてどうすんのよ。今日のわたくし、相当意地悪ですかね?そもそも「うちでディナーをしよう」と1週間前に声を掛けて、念入りにアポをとるのがいかん。期待してしまうではないか。期待って、勿論あれだ、料理に対してだが。

家に帰るなり、ロセッラに報告すると彼女は大笑いした。「悪いけどちょっと面白すぎるよ!何やってんのよ、フランチェスコは。全く・・・今だから言うけどさ、結構マリコのこと気に入ってるみたいだよ。可能性はない?」「ない」「まあね、分かるけど。いいやつなんだけど、あいつは根っからのオヤジなのよ。彼女もいなくて、仕事もうまくいかなくて、食べることにも興味がないし・・・何て言うか前向きな気持ちとかコダワリがないんだよね。根っこが老人化しちゃってんのよ。」

そうそう、さすがロセッラ。わたくしの胸につかえていた気持ちを全て代弁してくれた。しかし、我侭だな、女って。