パニーノ大作戦(前編)

ガリバルディ通りのバール・アルベルト。店に入るとすぐ右手に、父親の代から変わることのない古びたショーケースがある。昔はここにパニーノやお菓子が溢れていた。しかし今、自堕落でバール家業に露ほどの興味もなく、店を良くすることに髪の毛1本ほどの力も注がない息子、アルベルトに引き継がれてから、ショーケースは下降の一線をたどる一方である。

わたくしが仕事へと向かうとアルベルトのマンマが「シニョリーナ、ショーケースもお掃除しておいてちょうだい。わたしが現役だった頃はね、こうやって隅々まで毎日磨いたものよ。」とのたまう。そりゃ、言われるまでも無く磨きますけどね、いくらピカピカになったところでね、中に何もないんじゃその品薄さ加減が際立つだけ、とわたくしは頭の中で反芻する。

ここはイタリアのバールである。一応。名前は。にも関わらずショーケースの中はガラガラで、イタリア人の朝食の定番ともいえるコルネット(甘いクロワッサン。チョコレート入りやクリーム入りやハチミツ入りなど、いろいろある)が、何とマックスで5個しか並ばない。それもそのはず、毎朝アルベルトはイタリア人の命の糧(は極端だが)ともいえるコルネットを1日に5個しか発注しないのだ。

ちなみにペルージャは、バールに関して言えば手を抜きまくっていてわたくしは非常に不満である。よくできたバールのパニーノやトラメツィーノというのは、やっぱり手作りでなければならない。時々「おばあちゃんが作ったタルト」や、お父さんが仕込む「マチェドニア(フルーツポンチ)」が並んだり、何かしら人の手を加えた跡がなければならない。しかしペルージャにおいて、手作りのパニーノを出すバールというのは滅多に存在しないのだ。その代わりにペルージャで唯一の「ピセッリ」という問屋から、毎朝その日の分を卸しているのである。つまり、どのバールに行っても同じ形の同じ具のパニーノが並ぶ。違いは立地によって微妙に変えられた値段のみである。
ここで、アルベルトのパニーノ&お菓子パンの日々の発注をちょっと暴露してみたい。まあ誰に咎められるものでもないだろうし。

パニーノ:4個
トラメツィーノ(日本で馴染みの白パンサンドイッチ):2個
ボンボローネ(ドーナツ):4個
カンノーリ(シチリアのお菓子):2個
リンゴパイ:4個
ほか各種1点もの

一体これはどういう発注なんだ。1バールではなく1家庭の需要である。わたくしが店で働いていたのは朝11時からで、店に着くとまずガラガラのショーケースに目がいく。「あれ?もうこんなに売り切れてる。朝はやっぱり忙しいんだ」と思ったのは初日だけ。すぐにショーケースの上にほったらかしになっていた発注書を見つけ、「売り切れて品薄なのではない。朝の6時から品薄なのだ。」ということに気づいた。

「何でこれしか発注しないの?」アルベルトは決まってこう答える。「需要がないのさ。みんなが食べないんだよ、昔みたいに。」いやでも、需要がないから発注を減らすのか、発注を減らしたから、需要がなくなるのか、どっちなのか分からない。ショーケースというのはやっぱり美しくあるべきで、客の注意を引くものでなければならない。だからイタリアのバールのショーケースというのは、入り口すぐ脇に位置されるのである。いくら需要がないからといって、このショーケースに朝から何も並ばないのであれば、客はますます購入しない。人間が何かを買うとき、忘れてはならないのは「視覚」である。目で見て買うのである。たった5個のパニーノが並んでいる状態は、まるで「残りもの」であり、全く美味しそうではない。てんこもりのパニーノ、溢れんばかりのトラツィーノやドルチェ。このビジュアルが「美味しそう!」意識を高め、購買力へと繋がるのだ。

しかし一度ここまで落ち込んだ、何もない状況に慣れてしまったアルベルトに、今さらビッグな発注をする勇気はないし、意図もない。これでは悪循環もいいところである。客が少ない→発注を減らす→客がもっと減る・・・何が嫌って、わたくしが働くときに「何か食べるものはないかな?」とお客さんがやってくる瞬間だ。そしてショーケースをちらっと見て、そのままきびすを返し店を出て行ってしまう、あの瞬間だ。もしくは店先から首を伸ばし、ショーケースを見て、そのまま店にも入らず素通りしてしまう、あの瞬間だ。

美味しそうなパニーノや手作りのお菓子に溢れたショーケースとともに働きたい。