電車を降りるとき

QUANDO SI SCENDE DAL TRENO
わたくしが初めてイタリアを訪れたのは、そう昔のことではない。たったの5年前である。それまでイタリアのイの字も知らず、夕食後に平気でカプチーノを飲み、いつだったかフィレンツェで洋服を試着室で試していたニッポンジンがそのまま誘拐されたという事件を信じ、イタリアのイメージなど何一つ持っていなかった。「あいつらと日独伊三国同盟を組んだからニッポンは負けたに違いない」と頭の固い父親が言うのを「ふーん」と聞き流し、それに反発するほどの理由もなく、つまり。イタリアのことなんて全くもって知らなかった。

それがひょんなことから、イタリアに興味をもち、この国の言葉を喋ってみたいと思ったのが2000年の夏。そしてその冬にはローマへと独り旅立ち、やる気マンマンで1ヵ月半の語学研修に臨んだのだった。イタリア語のイロハすら知らず、数字は5までしか言えない真っ白な状態、さらにクラスに東洋人はわたくしだけ、という悲惨な状況に身をおき、人生で初めて1日10時間勉強をした。ま、1ヵ月半だったからできたのだけれど。

そんな中、イタリア到着2日目にして自然と覚えた単語がある。「SCENDI?(シェンディ?)」「SI,SCENDO(スィ、シェンド)」

ローマで通勤ラッシュ時に地下鉄に乗ると、このやりとりを電車に乗っている間中聞くことになる。勿論、最初は何を言っているのかさっぱり分からなかった。しかしギュウギュウ詰めの地下鉄に乗っていると、わたくしも見知らぬ相手から「SCENDI?(シェンディ?)」と声を掛けられるのである。それも右から左から後方から、何かを確認するように何度も何度も。「はぁ?何のこっちゃ?」初日はさっぱり意味が分からず、「ひえー、頼むからわたしに話しかけないで!」状態であった。な、何なんだ?わたくしはか弱い一外国人よ。放っておいてくれ。
しかし2日目にして謎は解けた。難しいことでもなんでもない、ただの「あんた、次の駅で降りるの?」という確認作業だったのだ。「SCENDI?(シェンディ?)」は動詞「SCENDERE(シェンデレ)=降りる」の二人称単数形、つまり「君、降りる?」という意味で、「降りる」の主語は「あなた、君」である。その答えは簡単、降りるか降りないかのどちらだから、「SI(スィ)=はい」か「NO(ノー)=いいえ」で答えれば完璧だ。

それにしても、わたくしにはあまりに新鮮な光景だった。確かにラッシュ時のローマの地下鉄は、東京ほどじゃないが混みあっている。その混雑の中で、イタリア人は自分の降りる駅が近づくと、こぞって周囲の人に確認しだすのである。「あんた、降りる?」「次、降りますか?」。要するに、もしこの人ごみで降りることが出来なかったらどうしよう、という不安から用意周到にも、まるで点呼のような確認作業に入るわけである。「シェンディ?」「スィ」「シェンディ?」「ノー」「シェンディ?」・・・・

ここで思い出されるのは地獄のラッシュアワー東京編。あれほど凄まじい世界はないし、世界各国で揶揄されているものもない。一日の始まりを最悪なものにしうる、あの肉体的な辛さは勿論のこと、実はわたくしはこの東京ラッシュアワーについて、誰にともなく言いたい!ことがある。

無言で「押し出し」勝ちをキメたがる人たち。ドアが開くと同時に前の人へカラダをぴったりと付け、横綱ばりの押せ押せで強引に突進する。でも無言。奥の方から人ごみをかき分けかき分け出口に向かう人たち。でも無言。何故そこで言わない「降りますー!」と。東京の満員電車でこの掛け声を聞く頻度は、その乗客数を考えると本当に低い。

「次降りますか?」と前もって聞くイタリア人は、ちょっと極端かもしれないが、実はとても人間的である。「あ、あなたは降りないんですね。でもわたしは次降りるので、ちょっと前のほうへ行かせてください」というコミュニケーションを自然にとっている。事前に自分の周囲で誰が降りて誰が降りないという確認をした後、いざ駅に着くとさらに「ペルメッソー(すみませーん、降りますー)」と声を出す。

ニッポンジンは、知り合い同士の間ではマナーを遵守し、親切で教養があるのに、何故公共の場で相手が全く見ず知らずの人だと、挨拶一つできないのだろう。恥ずかしい、奥ゆかしい、は理由にならない。コミュニケーションを面倒臭がってるだけ、図々しいだけのように思えてしまう。あの無言電車だけは、本当に大嫌いである。混雑していることが嫌なのではなく、あの無言のゴリ押しがスーパー不愉快なのである。赤の他人が、自らの腹や胸やカバンで相手を押しやりながら、外に出よう、または中に入ろうとする。無言で。あれが気持ち悪くて仕方がないのだ。たまに東京の地下鉄で「すみません、降ります!」とキリッと言って奥から出てくるオッサンがいると、冗談抜きでわたくしは尊敬の眼差しを向ける。「コイツ、やるじゃないか」何だかそれだけで、その見ず知らずのひとが公明正大に見えてくるから不思議だ。

「SCENDI?」イタリア到着2日目から、わたくしが喜び勇んでこの疑問文を使い始めたのも無理はない。