カールスバーグビールのオッサンに襲われる(後編)

しかしこのビール会社のオッサンは、あくまでも陰性で、他の常連がいないときを狙って(かどうかは分からないが)ああいうことを呟くのである。いつもと違ってさすがに少々気持ちが悪いし、適当に流したり、聞いてないふりをしたりで、ごまかしていた。

そんなある日、いつものようにオッサンがビールを運んできて、わたくしから倉庫の鍵を受け取り、また独りで搬入を始めた。そこへやってきたお客が「ミネラルウォーターの小さいボトル1本ください」と言ってきた。無い。冷蔵庫を探したが無い。おい、アルベルト。いい加減にしてくれ。水のないバールを、一体いつまで続けるつもりんだ?

そこで思い出したオッサンの存在。「そうだそうだ、オッサンが搬入しているものの中に、確か水のボトルもあったような・・・」そう思い、「ちょっと待っててください!倉庫にあるかもしれないから!見てきます!」そう客に言い残してわたくしは、店先にある離れ倉庫へと走った。倉庫ではオッサンがまさに物品の搬入中だった。「あの、水のボトルありましたっけ?えっと、ガスなしのほうなんだけど。」「ああ・・・」ゲッ!危険を感じたのはその時だった。オッサンはわたくしの背後からいきなり抱きついてきたのである。「mi fai arrabbiare sempre....(いつも俺を怒らせる・・・)」は、はぁ?「Noooooo!止めてください!水、ないんですね!じゃいいです!」あまりに予期しない唐突な出来事に、思わずオッサンを突き飛ばすように走って店へ戻った。

オッサンは何食わぬ顔で仕事を終えて帰っていく。珍しく後から後から客がやってきて、仕事に追われてしまったわたくしは、言い返すチャンスも騒ぎ立てる余裕もなく、むざむざとオッサンを帰らせてしまったのである。くやしい〜!全くちょっとひとが優しく(最初は本当に感謝していたのだから)プロセッコを奢ったり、カウンターで話し相手になったりしたばっかりに。客足が遠のいたのを見たわたくしは、店番を一瞬だけ常連のミケーレに頼み、隣のタバコ屋シモーネの店に駆け込んだ。

「ちょっとシモーネ!聞いてよ!あのカールスバーグビールをいつも運んでくる業者のオッサンいるでしょ?アイツ、わたしにいきなり背後から抱きついてきたのよ!しかも倉庫で誰もいないのを狙って!有り得ないんだけど!ああむしゃくしゃするっ!」「オッサンてあいつか!?それだけか?他何もされかったか?確かにアイツちょっと暗そうだよな。で、どうしたんだ?殴ったか?」「いや、殴りはしなかったけど・・・殴るべきだった!咄嗟にあたしニッポンジンのままだったよ。イタリア人の女の子なら殴ってたよね。何かさ、”君は俺をいつも怒らせる”とか言われたよ?意味わかんないんだけど。何なの?」

そこでシモーネは一気に吹き出した。「怒らせる?そりゃ”arrabbiare(怒らせる)”じゃなくて”allettare(誘惑する)”だろ?意味通じねーじゃねーか、”怒らせる”じゃ。」「あれ?聞き間違えたかな?そうだよね、怒らせたから抱きつくってのもおかしな話か。でもちょっと待ってよ、いつあたしが誘惑したのよ!?」「いやだから、勝手に思い込んじまったんだよ。俺がとっちめてやろうか?そうだ、今度アイツと倉庫で待ち合わせしろよ。”あと5分で行くから”って言ってさ。で、マリコの替わりに到着するのは、勿論俺だ。で、俺がこの聖なる松葉杖(シモーネは10年前に片足を失っている為現在は松葉杖生活なのだ)でコテンパンに殴るってどうだ?役に立つぞ、この俺の松葉杖は。」明らかに面白がっている。

アルベルトが休憩から戻ってきた。ボスに早速報告する。「アルベルト、大変だよ。今日あのカールスバーグビールのオヤジに襲われたんだけど」「何だって?」「最近ずっとおかしかったんだよ。君は美しいとか、毎日言っててさ。しかも倉庫でさ、”君は俺を怒らせる・・・じゃない誘惑する”って言うんだよ!」「あいつがそんなこと言うのか?」と、アルベルトもそこで一気に吹き出した。とそこでタイミングよくやってくるシモーネ。「聞いたか?アルベルト。マリコのやつ、単語聞き違えてよ。”わたしがいつ怒らせたの?”って聞きやがるんだよ。そうじゃあないだろう、それを言うなら”誘惑する”だろってね。」周囲にいた常連客も交え湧き上がる大爆笑。どうやらこういうネタは、シモーネにとってもアルベルトにとっても面白すぎるらしい。わたくしに同情しようと試みるものの、最後には吹き出すのである。失礼な話である。

以上、わたくしのセクハラ体験である。