ベビーシッターじゃありません!

NON SONO BABYSITTER!

去年の夏は、ガリバルディ通りにあるバール・アルベルトで毎日毎日働いていた。うだるような午後の暑さの中、クーラーもない店内で、どうしようもない気だるさと戦いながら働いた。バール・アルベルトの駄目オトコ系顧客も、毎日どんどんバカンスへと旅立ってゆく。「僕は明日からサルデーニャだから。チャオ、マリコ!あんまり働きすぎないで!」「カラブリアの実家に帰省するよ、今度会うのは9月だね、チャオ!」全く仕事もしてないのに、どこからバカンス資金を捻ってるんだ?8月になると、店もガリバルディ通りもガラガラでわびしい限りだった。

そんな中、バール・アルベルトには一人の異様に若い客がいた。まだ12歳のマテオという男の子だった。マテオの父親は大学の側で小さなパン屋を経営しており、当然ペルージャに住んでいるのだが、マテオは母親と他の家族と一緒に南イタリアに住んでいる。つまり父親だけが単身赴任をしているようなものだ。それが、夏休みとあってマテオは父親のもとへと独りやってきたのである。とはいえ、学校の友達も親戚もみな南イタリアの実家にいるわけで、ここペルージャで彼は誰一人知り合いがいない。毎日暇をもてあましている元気いっぱいのマテオは、父親が仕事の合間にゲーム目当てでバール・アルベルトへやってくるのをいいことに、その若さですっかりゲームの虜になってしまったのである(id:barmariko:20050609)。

父親がゲームにのめりこんでいる間、じっと傍らで見守るマテオ。そのうち「マリコ!両替機のつり銭切れてるよ!」「パパがカフェほしいって」と調子に乗ってきた。さらに父親がいなくても、独りでやってくるようになり、朝から晩までゲームの回りから離れなかった。お小遣いがあるときは、1戦2戦プレイし、それ以外はあの駄目オトコたちがゲームをしているのを凝視する。そうやって大人の仲間入りをしている気になっているのであろう。

しかしそうは言っても、彼はまだ12歳である。今からバールのゲームにはまってしまうようでは、先が思いやられる。実際教会工事のおじさんたちはみな、自分達の子供のことを思い出すらしく「ありゃあ、父親の教育がなってないんだよ。」「あんな歳でゲームにはまっちゃな。ゲームったって、ゼニが絡むからな、いいことねぇよ」「あんなに幼い子を一日中ほっておくか、普通?オヤジと一緒に賭け事に首突っ込んでよ」「いい教育してるよ」と専らマテオの父親を非難の対象にしていた。
わたくしがバールで独り店番をしているときは、ゲームから注意をそらすべく、なるべくマテオと話すようにした。「ねぇ、マテオ。イタリア語、教えてよ。これは何ていうの?」と言葉遊びから始まって、日本語の挨拶なんかも教えてみた。そのうちニッポンジンの客がやってくると「コンニチハ!」と言うようになり、大はしゃぎだった。

ゲームにのめり込まれるよりはいいだろうと、マテオにいろいろなことを頼んだ。「マテオ、お願い、このカフェとコカ・コーラとアイスティー、外のテーブルに持っていって」「灰皿取り替えてきてくれる?」「テーブル磨いてきて」その都度マテオは、バールで働いている、というちょっと大人になったような満足感を顔中に溢れさせて、楽しそうに手伝ってくれた。「えらいね、君ここで働いているの?」と客に聞かれる度に「今だけだよ」と嬉しそうに答えていた。

そのうち「カフェはどうやって淹れるの?」とカフェ・マシーンに興味を持ち始めた。ま、いいかこれもひと夏の経験だし、と思い、客がいないときにこっそり教えてみたのだが。「簡単じゃないかぁ!」と大騒ぎで、それからというもの、客が来るたびに「カフェ飲む?」とカウンターで客に滲みよっていた。さすがにお客はお金を払ってカフェを飲むのだから、子供に淹れさせるのはよくないと、マテオを制してわたくしが淹れていたのだが。(まあ客からしてみれば、東洋人の女の子が淹れるカフェと、12歳のイタリア人が淹れるカフェなど、心理的には同じようなものだろう。)

それでもマテオのパワー漲る若さは有り余っていた。そのうち「プールに行きたい!プールに行きたい!」と言い出した。「行ってきなさいよ。チェントロから直ぐのところにある、市民プール、あそこオススメだよ。いつも空いているし、オープンしたてで更衣室もトイレもシャワーもすっごいきれいだって友達が言ってた」「連れてって〜!連れてってよ〜、マリコ!」「ちょっと、何であたしがあんたとプール行かなくちゃいけないのよ!」「いいじゃん、明日仕事何時から?昼からでしょ?じゃあ午前中行こうよ〜!独りじゃ行きたくないよ〜!」ちょっとわたくしには仕事前に2時間泳ぐだけの体力はない。それだけでその日は終わったようなものである。しかし「僕一緒に行く人いないから」等と言われると、断ることができないのが母性本能ってもので、最終的には翌日朝8時45分にバール・フランコで待ち合わせをすることになったのだ。

バールで一緒に朝御飯を食べ、フランコさんに「子供でも出来たの?」とからかわれながらプールへと向かった。徒歩15分くらいで着くはずなのだが、わたくしも実際行くのは初めてだったため、案の定二人で道に迷ってしまった。途中道を聞く度に、相手から「なんだ、このコンビは?」と怪訝な顔をされながらも何とか無事プールへ到着したのだった。

着いてみれば大はしゃぎなのはわたくしも同じだった。浅い子供用プールで逆立ちをして見せると、マテオも負けじとトライする。「だめだめ、足曲がってるもん。でね、3秒以上空中で停止しないと、逆立ちじゃないから」と威張り続けるわたくし。そうやってワイワイやっているとプールの監視員がやってきて「ベビーシッターさんですか?」とわたくしに言うではないか。「違いますっ!・・・友達です」

ともかく非常になつかれてしまったわたくしは、その後もたびたびマテオに「プール」をせがまれ、時にはわたくしの家に(マテオとわたくしの家は歩いて1分なので)直接やってくることもあった。「プール、行こうよ!」

その10日後、マテオは実家に帰ってしまったのだが、12歳の夏に、ペルージャでニッポンジンとプールへ行った思い出が、マテオの心には残るのだろうか。