アレッハンドロさんの行き付けバール

barmariko2005-04-02


わたくしの大切な親友の一人、アレッハンドロを忘れてはならない。日系ペルー人で日本人の両親を持つ彼は、現在64歳でアメリカ人の奥さんスーザンとイタリアで年金暮らしである。アレッハンドロさんと出会ったのは、2003年9月にペルージャ外国人大学が主催したウンブリア州の古都オリビエートやトーディに点在するエトルリア遺跡周遊バスツアーでだった。顔は100%日本人なのだが、 20歳までペルーで育ち、その後60歳までアメリカで仕事をしていたため、日本人だと思って話しかけると悲しいかな殆ど日本語は通じない。さらに母国語はあくまでもスペイン語なのだが、アメリカ暮らしが長いため英語も当然母国語レベル、そこへイタリア語が加わったのだから、何とも厄介である。基本はイタリア語だが頻繁にスペイン語が混ざり、そこへ突然英語が勃発する。イタリア語で会話をしているのに「イエス」といきなり英語で答えを返してきたりする。

アレッハンドロさんはアメリカでシステムエンジニアとして40年間働き、奥さんのスーザンもまたIBMで働いたこともある超キャリアウーマンだった。が、アレッハンドロさんのその40年間はそう簡単に説明できるものではない。システム屋として働く傍ら趣味の写真はプロ並みで(ご両親はペルーで写真やを営んでいた)、更に海を愛するあまり自炊生活のできる大型ヨットを購入し、スーザンと一緒に5年間まるまる船上生活を送っていた。そのヨットは「アレグリア号」というのだが、イタリアへ来る前にメキシコ湾に置いてきたらしい。 今もなお、「イタリアもいいけど最終的にはヨットに帰りたいなあ」と言う。

そのアレッハンドロさんが、2週間前にペルージャ近郊の小さな街ベットーナに家を買い、ペルージャから引越しをした。ベットーナという街は2400年もの歴史を誇る山間の静かな古都で、周りにはエトルリア時代の遺跡と見事なオリーブ畑やブドウ農園が点在する。中心地の人口はわずか400人であるから、そののどかさはご想像頂けるであろう。外国人であるアレッハンドロさん夫婦が引越してきたことなど既に町中が知っている。
昨日アレッハンドロさんご夫婦からその新居へ招かれた。メンバーはお馴染みアンドレア、ジュセッペそしてわたくし。街の散策は5分もあれば充分、メイン通りは一本だし、街にバールは2軒しかない。スーパー親交的なアレッハンドロさんは、まだ引越しをして2週間しか経たないというのに全ての店、バールで友情を深め、既にベットーナ人として確固たる地位を築き上げていた。早速わたくしたちはバールへ連れて行かれ、その仲間たちに紹介されることとなったのである。

オーナー兼バリスタのルーチョ。(写真)生っ粋のベットーナ人で、今まで何度となく繰り返してきたであろうベットーナの歴史について語りだした。店内には中世から戦後に至るまでのベットーナの写真がたくさん飾られ、壁も天井も昔のまま、がしかし隅々まで手入れの行き届いた非常に気持ちのよい、ルーチョの心がこもったバールである。バール・アルベルトと違って店内にはものが溢れ、煙草屋もかねているため、人口400人であるにも関わらず常に人が集まってくる。

「ベットーナみたいな小さい街では、バールは住民の貴重な社交場、情報交換場として機能するんだ。ここへくれば街の全てが分かるし、ルーチョは街の生き字引のような存在だから彼に聞けばわからないことはない。」とアレッハンドロさんが言うのも肯ける。更にルーチョはアメリカが大好きで、その上息子はアメリカ暮らしときているから、毎年頻繁に渡米する。そもそも彼のアメリカ好きはジャズから始まったらしい。気づけばベットーナのような田舎街のバールで一日中流れる音楽はジャズなのである。

と、そこでわたくしたちはアンドレアを紹介した。彼は自他ともに認めるジャズ気違いだからである。「おお、君もジャズ好きなのか!いやあ、分かるよ、そんな顔してるよ」とルーチョ。「いえいえ、僕もあなたがジャズ好きだってすぐ分かりましたよ。しかもそのあなたの着ているベスト、それはまさにニューオーリンズ風ですね!」「分かるかい!?いや僕はこのベストを集める趣味もあってね。ジャズといえばこのベストだからね!」とあっという間に話が盛り上がってしまったのである。

更にルーチョは昨年のアメリカ旅行がいかに安くすんだかの話を始めた。「シカゴからニューヨークまでアメリカ国内線で飛んだんだけどさ、たったの80ユーロ(約12000円)だよ!アメリカでだよ?知ってるかい、ここベットーナからタクシーでローマ空港までいくのと同じなんだよ。イタリアの物価の高さには本当に嫌になるよ・・・」そこへ現れた60歳くらいのシニョーラ。5歳くらいのお孫さんを連れている。「アモーレ・ミーオ!(僕の可愛い愛らしい子!)元気かい?おばあちゃんの言うことちゃんと聞いてるかい?アイス食べるか?」と突然話を切り替えるルーチョ。彼はバリスタになるために生まれてきたようなひとである。ここはバールというより、ルーチョ・クラブといったほうが適切であろう。

そんなルーチョを見ながらアレッハンドロさんはわたくしたちに、目下計画していることを説明仕出した。「昔からずっとやりたかったんだけど、イタリア全土の写真撮影を今年こそ始めようと思ってね。引越しもして落ち着いたことだし、家も広くなって今までの写真を飾ったり仕事したりできるスペースが充分にあるんだ。ベットーナは本当にいろいろやる気を起こさせてくれる街だよ。小さすぎてつまらないんじゃないか、って皆心配してたらしいんだけど、何も僕は毎日ここでルーチョとお喋りするだけじゃないんだから(笑)、やりたいことはたくさんあるんだ。行動の拠点としてはベットーナは最高だよ。」

アレッハンドロさんは今年65歳である。がしかしこのパワーにはいつも感動すら覚える。ペルージャからベットーナまでの引越しも自分で車を運転して何度も往復した。家具は全て新調し、ベッドはフィレンツェ、テーブルはローマ、ランプや電気の傘はウンブリアの古都デルタまで足を運び、68歳のスーザンと一緒に何もかも自分でやってしまったのである。さすがに引越しの後は随分背中を痛めていたようだが、「船上で生活していたときに、重いものを運ぶことには慣れたんだよ。これくらい何でもない」と言う。アレッハンドロさんについてはこれから徐々に紹介していこう。