街に溢れるポスター

イタリアの街角には、様々なポスターが溢れている。遠目に見ると格好いいのだが、近寄るとその雑な貼り方に驚く。これを仕事にしている人がいるはずなのに、恐ろしい完成度である。時期が過ぎても、次のネタがなければいつまでも残っているのも特徴だ。当然雨に濡れ風に吹かれ、遺灰のように原型をとどめなくなっても、強固に居座り続ける。

ポスターで告知される内容は様々だ。一番多いのがライブやコンサート、オペラなどいわゆるテアトロ(劇場)系。ジャズ、クラシック、写真はロック、ミュージカル、映画など多岐に渡る。1月と8月に台頭してくるのが、我々が大好きなセールのお知らせ。当然店ごとに宣伝を打つので、ポスターも多種多様である。

10月になるとイタリア全土・各地で開催される特産品祭りの案内ポスター。実はこれ、玉ねぎ祭り、タルトゥーフォ祭り、じゃがいも祭りなど、郷土料理がその土地土地で味わえる、町おこし的なお祭りなのだ。町ごとに野外レストランを仮設し、地元のおじちゃんおばちゃんがシェフやカメリエラとなって登場する。いつまでたっても今日のメニューが覚えられなかったり、テーブルを間違えてばかりのおばちゃんや、仕事中なのに地元の食材のことを語りだしてとまらないおじちゃんも、祭りの大事な要素になるわけだ。ワインは当然地場のもので、1本500円くらいで味わえることもある。長い長いテーブルに何組もの家族や友人たちが座り、あっちでもこっちでも大騒ぎ。例えプラスチックの食器だとしても、例え知らないひとと合い席になったとしても、そんなことは問題ではない。

話を戻そう。続いて政治ポスター。ニッポンのように選挙の時期だけではなく、通年何かしら存在する。街に溢れるベルルスコーニ首相の偽善的な笑顔に、必ず施される落書き。見慣れたイタリアの風景である。
驚きなのが、大学のポスター。ニッポンの場合は入試前になると「説明会」やら「一日入学」やら要は営業目的のポスターが登場するが、イタリアではありえない。なんと「新学期の登録は〜からです」「夏休みは〜まで」という業務上連絡が学部によっては大々的にポスターで告知されるのである。この通りを通らないひとはどうするんですか、とある外国人が質問していたらしいが、それくらい衝撃的なポスターである。

ペルージャの場合は上記ポスターに加え、6月末になると「ウンブリア国際ジャズフェスティバル」、10月には「ペルージャチョコレート祭り」のポスターが街中に溢れるのが特徴である。とにもかくにも、イタリアにおけるポスターの需要は非常に高く、イタリアジンは街のポスターを必ず確認する。つまりイタリアジンにとっての重要な情報源なのである。そして季節はポスターを通じて移り行く、といっても過言ではない。

ちなみにイタリアの電車やバスには広告というものが一切ない(一部のメトロに見られたかも)。あの空間に吊り広告を設けようというニッポン的な発想は、通勤・通学時間が異常に長い過酷なライフスタイルがあってこそ生まれるもの。イタリアにおいては通勤中の情報収集などという概念は皆無であろう。

イタリアジンは散歩好きで、夕方にもなると街のチェントロはそぞろ歩きをする人でごった返すとは確かによく言われることである。そして彼らと一緒に散歩をしていると、必ず誰かが「あ、〜がやってくるよ、14日コンサートだよ」「〜からあの映画が始まるよ」とポスターの前で足を止める。そしてその瞬間、音楽や映画の話題が生まれ、ああでもないこうでもないと、グタグタお喋りは続くのである。ポスターの前で。

ある意味アナログである。しかし、街に出ないと得られない情報が、イタリアにはまだまだ多い。