イタリアジンの「お腹」に対する美的感覚

PANCINO,PANCINA,PANCETTA!!

「30歳も過ぎると、お腹の周りの肉がとれないよぅ」「27歳の頃のバディに戻りたい」「イタリア料理は腹に付く!」「イタリアのせいで太った」「2,3年前はなかった肩こりと腰痛がひどい」「これ、絶対内臓脂肪・・・」とウダウダ言いながらお腹の肉をつまむ、悲壮感漂うわたくし。

イタリアジン相手にこんな発言をすると、まず間違いなく罵倒される。オンナ友達は決まってこう切り返す。(むしろ、罵られる)「何言ってんのよ!十分細いじゃないの!まったくあなたたちオリエンターレ(東洋人)は、どうしてこうも皆細いのかしら?肉は付いてないし、とにかく若く見えるし。シワもシミもないし。わたしの前で二度とそんな発言しないで。ああ、うらやましい。」それは言いすぎってもんである。肉もあるし、シワもシミもタルミもある。しかし、そのレヴェルが違うのである。彼らのそれと。それは否定しない。しかしそもそも骨格、体のラインが違うのであるから仕方ない。

一方、オトコ友達に愚痴るとこうなる。「何言ってんだよ、素晴らしいお腹じゃないか。女性のお腹ってのは、これくらいが美しいんだよ。そもそもニッポンジンは細すぎる。骨と皮じゃ、女性らしさがないよ。ルネッサンス絵画をみてごらんよ。彼女達のポッコリお腹、セクシーだろう?我がイタリアでは、この”ぽっこりお腹”こそが女性のシンボル、エロスとされてるんだから。」

ある日、また別のオトコ友達がこう発言をしていた。「ニッポンジン女性もお腹を気にするけど、ニッポンジン男性もまた病的に気にしたり、女性のお腹を批判したりするよね。僕はこの前飲み屋にニッポンジン男性Sと行ったんだけど、Sがしきりにオンナ友達をこうからかうんだよ。『おい、サブリーナ。お前ちょっと太ったんじゃないか?腹、目だってきたぞ』正直驚いたよ!だって彼女はイタリア人的には全くもって普通の体型なんだから。僕らだったら彼女のお腹には、目がいかないよ、だってノーマルだから。でもSにとっては、もうそれが『デブ』のラインだったんだ。厳しいなぁ、ニッポンジンは。」

イタリアジンは「お腹」に対して、親しみをこめた愛称を頻繁に使う。PANCINA(パンチーナ)、PANCINO(パンチーノ)、PANCETTA(パンチェッタ)が、もっとも一般的な呼び方である。お腹の意味でそのままダイレクトに使うこともあれば、彼女や彼氏を呼ぶあだ名として使うこともある。「チャーオ、僕のパンチーナ」と言うように。ただし、この場合その相手がぽっちゃりさんなのか、といえばそんなことはない。体型は全く関係ないのである。ニッポンに当てはめてみよう。例えば彼女のことを「僕のお腹ちゃん」などと呼ぶニッポンジンがいたら、間違いなく彼女に刺されるであろう。ニッポンジンの「お腹」に対する価値観では、愛称というよりは中傷になってしまうのである。

にしても。イタリアは危険な国である。「お腹」に対して大らか過ぎる。ここで彼らの価値観に埋もれ、郷に入っては郷に従えと言わんばかりに”ルネッサンス美術”さながらのパンチーナを創造してしまっては、ニッポンで生きていくことができない。イタリアに住みっぱなしは、よくない。時々ニッポンに帰って、鏡の前でニッポンジンとして見つめなおさなければ。