カリーナの彼氏〜エピローグ〜

barmariko2005-09-03

IL RAGAZZO DI CARINA 1

カリーナは25歳のブラジル人女性で、ロセッラ(イタリア人)とともにわたくしの最後のシェアメイトである。わたくしたちの家はシングルルームが3つあったから、わたくしが1部屋、ロセッラが1部屋というのは固定として、残りの1部屋は結構入れ替わりが激しかった。偶然ではあるが、ここ1年半は常に南米のうら若き女の子たち(ブラジル人だったり、メキシコ人だったり)が短期入居をしていた。(写真はカリーナ。わたくしたちの家の狭いダイニングキッチンで)

その何人かは常識ハズレのとんでもない子たちで、ロセッラの怒りは一時期凄まじかったが(その模様はいつか時間をとってお話したい)替わってカリーナが入ってきたとき、わたくしたちは心の底から喜んだ。「やっと、わたしたちの家に住むべきひとがやってきた!」

カリーナはイタリア人の祖父を持つため、イタリア国籍を所持している。であるからヴィザに関しては問題がなく、好きなだけ滞在することができる。ブラジルの大学で国際経済を学び、そして学生の頃から企業で実践を身に付けるべく働いていた。卒業後、イタリアで仕事がしたいという希望のもとペルージャにやってきたのである。まずは外国人大学で語学を学ぶためにである。しかし。イタリア語にとても近いポルトガル語が母国語である彼女にとって、大学の授業ほど退屈なものはなく、2日文法の基礎を学んだだけで、あとは独学でモノにしてしまった。

彼女の父親は開業医、2人の姉はサンパウロの大企業で働いており、つまりブラジルにおいて彼女のファミリーはとっても、何と言うか経済的には恵まれた階級にあるといえる。しかしカリーナは、25歳にもなって自分の都合でイタリアにやってきたわけだから、親に援助してもらうことはできない、何とか自力で仕事を見つけて自立したいといつも話していた。とはいえ、イタリアで仕事を見つけることは彼女にとっても難しく、壁に何度もぶち当たっては悩んでいた。こんなにイタリア語がペラペラなのに、である。イタリア国籍もあるのに、である。全く彼女がそうなら、わたくしたちニッポンジンはどうなるんだ?と彼女が「今日も面接駄目だった」「連絡がこない」と言うたびに、わたくしも同様に沈んでしまうのだった。
そうは言っても日々の糧を稼ぐことは必要であるから、彼女はわたくし同様カフェやバールやレストランや、本当にありとあらゆるところでカメリエラとして働いていた。「なんで、大学も出てるっていうのに、バッソイオ(お盆)を持って働かなくちゃなんないの!?」と毎日愚痴ってはいたが、機転が利いて賢くて、バイタリティがあって、さらに誰とでもすぐうちとける根っからの明るい性格でもって、その仕事はなかなか板についていた。むしろ、店のオーナー、マネージャー格の存在感があった。

いつも「何もしないで過ごすのだけは嫌。仕事も見つからないようじゃ、国にも帰れない。友達や親や親戚に合わせる顔がないもの。一緒に卒業した子達はみんな企業に勤めたのに、わたしだけがイタリアにやってきたのよ。”イタリアで何してたの?”って聞かれて”バッソイオ(お盆)持ってました”じゃ話にならないわ!こんな風に無駄に時間だけが過ぎていくのは本当に耐えられない!」と半分怒鳴りながら話していたのを思い出す。

勿論その状況はわたくしも同じである。「カリーナ、よく分かるよ。わたしだってひどいもんよ。そもそもイタリアにやってきたのが29歳になったばかりのときだよ?そもそも語学を勉強するのにだって時間がかかるし、30過ぎてもパブで朝まで働いたりしてるわけで。そりゃあ生活費は稼がなくちゃいけないけどいつまでたってもバイトだし。イタリアで何をしましたか?って改めて聞かれると何も答えられない。」

マリコ、それは違う。そもそもニッポンジンが母国語以外の言葉をモノにできれば、それはそれで一つの結果になるでしょう。外国人大学だって修了したじゃないの。証書もあるし。わたしたちの場合はね、違うのよ。いくら外国語のイタリア語がペラペラになったからといって、そんなの当たり前なの。そもそも同じラテン語なんだから。何の特技にもなりゃしない。」「いやでも・・・要は自力で生活できてるかってことだよ。わたしたちに足りないのは雇用契約。有給や保険がある安定した仕事がもらえなきゃ、いつまでたっても変わらない。大きな枠で考えたらわたしたちは同じラインでしょ、きっと。」「あ〜やだやだ。とりあえず、仕事いってくるよ。」そういってわたしたち2人は、お盆を持つ仕事へ、客商売へと向かうのだった。

そんな逞しい、愚痴りながらも前向きな彼女には、イタリア人の彼氏がいた。いやいまでも続いているから、過去形はまずい。ロレンツォ。35歳。独身(当たり前か)。学生・・・?あれ?