ハンズフリーの携帯電話が流行る?!

barmariko2005-07-03


初めてイタリアでそれを見たときは本当にギョッとした。電車の中で、携帯電話の影もないのにひたすら喋っていた男。「ひ、独り言か!?」それにしては明確に頷いたり、質問したりと大忙しである。決してブツブツ呟く感じではない。そう、彼はハンズフリーのイヤホンマイクを携帯電話に接続して、お喋りしていたイタリア人だったのである。

アメリカでもニッポンでも、ハンズフリー用イヤホンマイクや、さらに進んだワイヤレスのハンズフリーキットなど、今や普通に販売されている。車を運転しながらの電話対応(基本的にしてはいけないと思うのだが)など、とにかく両手を使うことなく携帯電話が使える、というのがウリである。特にビジネスシーンで、その販路は拡大されているらしい。

だからイタリアでそのハンズフリー携帯を見かけたからといって、それは別に驚くべきことではない、はずなのだ。しかし何故だろう、この心に残る直感的な気持ち悪さ。素直に「ああ、イタリアでもハンズフリー携帯の需要があるのだ」と納得できないもどかしさ。

それもそのはず、イタリアの携帯電話事情というのは、まだまだニッポンやアメリカに比べたら恐ろしく遅れをとっているからである。i-modoなど、存在しないに等しい。わたくしの回りで、例えミラノ出身であってもローマに住んでいる人であっても、携帯電話でインターネットを楽しむことができる環境にあるひとは極一部である。携帯でお買い物など、有り得ない。携帯電話は、電話の受信発信、ショートメール(SMSと呼ばれる)のやりとり、あとは・・・目覚ましと計算機能くらいしか、活用されていない気がする。
携帯のショートメールは、異なる機種間でも問題なく使用できる為、一見するとe-mailのようなのだが、どう頑張ってみても携帯電話以外へはメールを送信することができない。いや、こう言いきってしまうと語弊がある。例外はあり、契約の時点で別オプションのお金を払えばemailも使用可能のはずなのだが、あまり人気はないようである。というか、全く普及していない。ミラノやトリノ、ローマなど大都市に行けば、世界に羽ばたくビジネスマンも増えるだろうから、当然新機能満載の最新携帯を持つひとだっているだろう。しかしイタリアというのは、その差が激しすぎるのである。ニッポンのように、ドコモのFOMAを持つ人が全国各地に散らばっている状態とは、訳が違う。

そうは言っても、実際その携帯でさほど不自由なくイタリアで生活できてしまうのだ。むしろ、基本的に携帯電話など、喋れてメッセージが送れれば、それでOKなのかもしれない、とさえ思ったりもする。

こんな話がしたかったのではない。つまり、こういうお世辞にもレヴェルが高いとはいえない、イタリアの携帯電話事情で、何故よりによって、ハンズフリー電話だけが進んでいるのかってことだ。非常に不自然ではないか?ビジネスマンにとってのお役立ちアイテム、ハンズフリー、実際日本でもまだまだ浸透しているとは思えない。それが何故、イタリアではペルージャのような田舎でも、バンヌッチ通りを歩くひとの中でも、その愛用者が見られるのか?i-modoもないのに、何故ハンズフリー

答えは簡単。イタリア人はお喋りな上に、世界一オーバーアクションで、ジェスチャーを交えながら話す国民、と言われているからだ。携帯電話で話すときに、両手が使えないと不自由なのだろう。絶対そうである。だから、普及しているのである。

ある時、わたくしの携帯が突然壊れてしまった。そこへ「ちょうど携帯買い換えたかったんだ。新しいの買うから、これ、僕の売ってあげるよ。40ユーロでどう?」と大学前のバール・フランコバリスタ、ジュセッペ(上写真)が提案してくれた。「ありがとう!でももうボロボロってこと、ないよね?まだ使えるよね?」「使えるよ!まだ半年も使ってないし。割と新しい機種だし。保証書とか、使用説明書とか、携帯ケースとかいろいろキットもそのまま全部付けてあげるよ」「(キット・・・?)有難う!」

そして翌日、ジュセッペから有難くその携帯セットを頂戴した。家へ帰って箱を開けると。あった、あったなかなかいい携帯ではないか。そして・・・ハンズフリーのイヤホンマイク。ちょっとあんた、バール・フランコバリスタとして働くあんたが、いつこんなイヤホンマイク使うのよ?彼がそのイヤホンマイクをつけて、カプチーノやカフェをいれながら携帯でお喋りを続ける姿が浮かんでは、消えた。勿論、そんなことあるはずがないし、見たこともないので、彼はそれをプライベートで使用するのだろうが。(注意:ジュセッペはイタリア人の中でもお喋りで、ジェスチャーの多いオトコである)

i-modoよりも早くハンズフリーが流行る国、イタリア。