イタリアで観る映画〜頼む、母国語喋ってくれ!

barmariko2005-06-12

IL FILM IN ITALIA〜VORREI IL SOTTOTITOLO...

イタリアで劇場公開される映画は、殆ど全て吹替えバージョンである。何が悲しいって、日本映画も香港映画も全てキャストはイタリア語を話すのである。ある眠れない夜、深夜映画でも観ようと思い、家のテレビをパチッと付けると、おおお、何と倍賞美津子が着物姿で出てきたではないか。白黒の相当古い映画だったとは思うが(恥ずかしながら題名も他の役者も覚えていない)、倍賞さんが朝玄関前で仕事へ出掛ける旦那さんを、深々とお辞儀をしながら見送るシーンだった。

「行ってらっしゃいませ」日本語だったらそうくるはずだ。ところが賠償さんは「チャオ!ブォン・ラヴォーロ!」とおっしゃったのだ。イタリア語で。着物姿で。ブォン・ラヴォーロというのは英語で言うと「good job」であり、日本語だと上手い訳がないのだが、確かに働く人に対してイタリア語では非常によく使われるフレーズだ。しかし。倍賞美津子が着物姿で(しつこい)、白黒映画で、頭を深く下げて夫を見送って・・・全然ピンとこない。

まあそんなにネガティブに考えることではない。ただ、イタリアへ来た当初、「日本の映画やドラマを日本語で観る」ことに飢えていたこともあり、やっと出会った日本モノ、だったわけでそのときのショックは計り知れない。

「何で吹替えばっかりなの?字幕はないの?」何回イタリア人に質問したか分からない。「外国の映画を観るときって、やっぱり耳から聞こえてくるその国の言葉は重要だよ。文化や言語を理解するっていう意味で。そりゃあその言語を理解できるわけないけど、やっぱり何か感じるものがあるじゃない。音って大事だよ。」「でも目で字幕を追ってたらそればっかりに気がとられて、映画に入り込めないじゃないか。字幕を読んでるときは、役者の表情を観ることができないし。だから吹替えなんだよ。」「それは、慣れることだよ。香港映画を観るならあたしは絶対中国語を聞きたい!イタリア映画は絶対イタリア語で、フランス映画はフランス語じゃないとやっぱりおかしいよ!」でも皆口を揃えて「分かるけどね・・・僕らは慣れてないから、字幕に。」

たまに映画館の入り口に「LA LINGUA ORIGINALE(母国語で)」と張り紙がしてある映画がある。それは決まってアメリカ映画で、つまり英語のままで上映します、ということなのだが、その張り紙が何とも偉そうに佇んでいるのだ。そんなに凄いことなのか、字幕映画というのは。
イタリア人は映画好きである。古いイタリア映画にはそれがコメディであっても、たまらない哀愁と孤独が匂い、戦後の混沌とした中からも、何とか未来への一歩を掴もうとする希望の光がその背景から伺える。また逆に同情の余地もないくらいネガティブなペシミズム作品もあり、イタリア映画の奥の深さは世界的に認められている。ちなみにニッポンのレンタルビデオ店にはイタリア映画が非常に少ない、のが真に残念である。「ニュー・シネマ・マラダイス」と「ライフ・イズ・ビューティフル」と「マレーナ」しかないじゃないか、という店も多い。扱いとしては完全にフランス映画に負けている。

とにかくそんな映画大国イタリアだから、映画好きが多いのはもっともだ。がしかし、同時に討論好きが多いのも事実である。(←映画に限ったことではないが)ウンチク好きといっても過言ではない。だから、イタリア人と映画に行くときは相手を選ばないとひどい目にあう。「興味、ないんだけど」といいたくもなる長い、長い、長い映画評論が映画の後に待ち受けていたりする。

実はイタリアの映画館では、上映中に大抵休憩時間がある。中盤で突然プチッと映像が切られ(しかも何故かいつもいいところでブチ切りされる)、パチッと電気が付く。10分〜15分の休憩というわけだ。途端に始まるお喋り、お喋り、お喋り。普通劇場にはバールが併設されているから、カフェを飲みに行く人や、食前酒を飲みに行く人もいる。トイレへ行く人もいる。しかし。これは絶対、イタリア人は2時間もだまって映画を観ることができないから生まれた慣習ではないのか、とつい思ってしまう。

まあ言葉の不自由な留学生には、この休憩時間中に一緒にいる友達に前半の内容を質問して、ストーリーや登場人物の関係を整理し、余裕を持って後半に臨むことができる、というメリットも確かにある。

ちなみに写真はペルージャのチェントロ、バンヌッチ通りに面する「TEATRO DEL PAVONE(テアトロ・デル・パヴォーネ)」という街で一番古い劇場だ。勿論映画だけではなく、ジャズやクラシックやブラジル音楽など多様に渡る音楽コンサートも行なわれるし、オペラやダンス、何でもござれである。このテアトロは本当に美しい。修復に修復を重ねて今も尚、当時の雰囲気を色濃く残す、アンティーク劇場である。装飾が剥げかかった木造2階席も、緞帳が上下するときにキシキシ音がなるのも、頑張って生き抜いている逞しさの象徴だ。ニッポンのようなハイレヴェルな音響はないし、イタリア語吹替えのみであったとしても、ま、いっか・・・と思わせてしまう憎い奴である。