ゲームに群がるひとたち

barmariko2005-06-04

I RAGAZZI CHE GIOCANO OGNI GIORNO AL BAR
バールの大事な要素、それは一にカフェ、二に新聞、そして三がこのゲーム(I GIOCHI)である。ちなみにわたくしは大嫌いであるし、毎日このゲームに群がる駄目人間くんたちを冷ややかな目で見るイタリア人もいることはいる。しかし誰もが「クラッシックなイタリアンバールには当然あるもの」と認識している。この場合の”クラシック”とはウッディな高級感のあるバールのことではない。イタリアで古くから発展した、男のたまり場としてのバール、決してカフェテリアなどと言う言葉は使えない、駄目男や寂しいオヤジの憩いの場としてのバール、トトカルチョや政治談義に燃える場としてのバールのことである。何度も言うが、そこにゲームは必須なのである。

このゲーム、決してハイテクであってはならない。ニッポンの初期型スロットマシーンのようなものを想像して頂きたい。1回50セント(約70円)で、50セント玉しか使用できない場合が多いので、ゲームを備える多くのバールには必ずといっていいほど両替機も存在する。パチンコと同じで、勝てば換金できるが一見さんはお断りである。ふらっと入ったバールでたまたま当てても駄目なのだ。

一日中バールでゲームをするお馬鹿な奴らも多い。彼らはゲームをしながらカフェを飲み、パニーノを食べ、勝てば見物をしていた仲間に笑顔で酒をおごり、負けても隣で勝った奴から酒をふるまわれ・・・と、結局一日中マシーンの前で時間を過ごすのである。バールというのは地域密着型で、自然と近所に住んでる客が多い。そうすると「ちょっとタバコとってくるから、この1番マシーン、誰にも触らせないで!」と一旦家に帰る客も出てくる。

ゲームがあるバールでは、客の中にも上下関係が生まれる。当然、ゲームに強くいつも勝つ奴は皆から羨望の眼差しを向けられる。このいつも勝つ奴は、チマチマ金を使うのではなくドーンと大金を投資する。例えば1回のゲームで200ユーロくらい使ってしまう客もいる。(200ユーロといえばペルージャのわたくしの家の家賃である)強い奴がそれくらい負けても、他の客は「おおお・・・」と感服するだけであるが、弱い奴が200ユーロも使い果たすと「あいつはパッツォ(頭がおかしい)だ。あそこまではまっちゃ人生お終いだよ」とみんなから陰口を叩かれるのだ。

田舎のバールでは、毎日ゲームに集まってくる客の中から、バールのオーナーからの信用を見事勝ち得て、このゲームマシーンと両替マシーンの鍵を託される奴が出てくる。ちなみにこの場合の信用とは、「ゲーム、機械に詳しい」「金はすぐ払う」「ツケがない」「一日中店にいる」等の条件が完璧に満たされた客だけが得られるものである。一バールの客として見事ここまでよじ登れれば、今後のバール生活も安泰というものである。

何故いちニッポンジンのわたくしが、しかもオナゴであるわたくしが、こんなどうでもいいことを知っているかと言えば、それはあのペルージャガリバルディ通りのバール・アルベルトに当然ながら3台のゲームと1台の両替機が存在するからである。毎日毎日、ゲームに集まる駄目男たちの相手をしながら店番をしていたからである。あんなにモチベーションの下がる毎日はない。

(次号に続く)