刺青職人のマッシモ

barmariko2005-05-25

UN AMICO ITALIANO CHE FA I TATUAGGI

写真はバール・アルベルトの重要顧客の一人、マッシモ、29歳のイタリア人である。出身は南イタリアのプーリア州レッチェという港町である。(そう、あの教会工事のおじさんたちと同郷である)左はマッシモの彼女でドイツ人だ。現在彼女はドイツに住んでいるので遠距離恋愛なのだが、まあニッポンと比べれば遠いうちにも入らないから、こうやって時々彼に会いに南下してくる。

マッシモはいつもバール・アルベルトで遅い朝御飯をとる。というのも彼はバールの目の前にあるアパート(写真左手に見える)に住んでいるのである。眠い目をこすりながらやってきて「ラッテ・マッキアート(温かい牛乳にエスプレッソを少したらしたもの)とブリオッシュ」を頼む。朝御飯にはカプチーノカフェ・ラテ派が多いイタリアにおいて、ちょっと稀なタイプかもしれない。

マッシモと知り合ったのは実はバール・アルベルトではない。バールから100メートルほど下ったペルージャ外国人大学のすぐ脇にある「ダウンタウン」というパブ(飲み屋)である。前にも述べた通りここでわたくしは2年近く働いていたのだが、ある日マッシモは客としてビールを飲みにやってきたのである。朝5時にわたくしが店終いをしていると弊店ギリギリまで仲間と飲んでいたマッシモが「じゃ、ボナセーラ(お休みなさい)!あ、もうボンジョルノ(おはよう)だね。」と勢いよく店を出て行った。そして7時間後、昼の12時にバール・アルベルトへ朝御飯を食べにやってきたのである。

「あれっ?!君、7時間前にダウンタウンで働いたよね?おいおい、昨日の夜はパブでビールをいれてくれて、今日は朝から僕にラッテ・マッキアート作ってくれるわけ?まだあれから数時間しか経ってないんだよ?!あ〜あ、イタリアの失業率が高いのは君みたいな働き者の外国人のせいだよ(笑)」「覚えてるよ、昨日の夜マックファーランド(赤ビールのダブルモルト)飲んでたでしょ?お言葉ですけど、イタリア人が働かないからあたしたちが働くのよ。世の中そういう仕組みなの。」こうやって我々は知り合ったのだ。
そのうちマッシモが実はペルージャで非常に腕のいい刺青職人であることも分かった。わたくしがバールで働いているとやってきて「”アモーレ”って日本語で何て書くの?」「”フランチェスコ”って日本語で書いて!」と刺青用に質問をする。顧客からの要望なのだ。日本語というよりも、「漢字」であることが重要であるらしい。よくローマやフィレンツェで、「あなたのお名前中国語で書きます」という路上で変な商売をしている中国人がいるが、あのノリである。ニッポンジンが横文字に憧れる以上に、彼らにとって日本語(中国語)というのは神秘の世界なのである。

だがマッシモの本当の肩書きは学生である。ペルージャ大学農学部(そうは見えないが)で近日中に卒業である。そう言えば去年の夏は「卒論のために毎日家畜小屋で奮闘してた」そうである。これからどうするのだろう?刺青職人としても食べていけるだけの技術があるのだが、他にもやりたいことがあるらしい。

ある日マッシモがカウンターでいつものようにラッテ・マッキアートを飲んでいると「マリコ、何か疲れてない?働きすぎなんじゃない?」と言った。「だってさー、今月学費まだ払ってないんだもん。稼がないと。あーあ、労働ビザが欲しいなぁ!あたしもう大学修了したんだよ?もう授業通ってないのにさ、イタリアに滞在して就職活動するためだけに毎月250ユーロ(約3万5千円)も払ってるんだよ。あー泣けてくる。」

「250ユーロ???そりゃ高すぎだ!僕の家賃より高い!何でそんなに払う必要があるんだ?」「そりゃそうだよ。滞在許可証は労働ビザか学生ビザがないと普通とれないでしょ。労働ビザがない以上、教育機関にお金を払って学生ビザを取得することは必要最低限の滞在条件なんだよ。」「それにしたって、高い!よし!じゃあ僕の国籍とパスポート譲ってあげるよ、200ユーロで。イタリア国籍なんて要らん、要らん!明日から僕が東京行くよ!アリヴェデルチ〜!(サヨウナラ!)」

そんな風におちゃらけることもあるが、マッシモはいい奴だ。バール・アルベルトの「良いお客」の一人である。