失意。

barmariko2005-04-19

LA DELUSIONE
右はイタリアに現存する「ジャッポーネ」という日本文化を紹介した雑誌(昨年号)に掲載されていた写真である。しかも「東洋の味」というタイトルでご丁寧に説明文がある。この写真に、今更一体どんな説明を加えようというのか。「今から25年ほど前に日本で放送されたオシンは大ヒットし、その後海外でも放映され・・・」という説明ならこの写真であっても頷ける。しかし残念ながら、この写真は日本料理の記事に付随しているもので「東洋の味。アーティスティックでまるで絵画のようなその料理」「茶道や禅にも深く結びついた料理」と説明されているのだ。何故、この写真が選ばれたのか、その主旨、意図を知りたいものだ。これを失意と呼ばずとして何という。

そもそもひどいではないか、この写真。一体いつの時代だ。写真の中の彼女が一体何を切っているのかは知らないが、横の説明文には「代表料理>ソバ、寿司」などと書かれている。こんな写真、ニッポンジンのわたくしたちにだって見つけるのは難しい。これが西洋人の心をくすぐる東洋的な美なんだろうか。まだまだ証拠写真はある。
 

写真左はイタリア版海苔巻きと蕎麦である。蕎麦と言っているがわたくしにはどうもソウメンに見えて仕方が無い。変わって写真右は同じく海苔巻きであるが、その上にあるのは茶碗に盛られた白飯。意味が分からない。さらにその隣には蕎麦ツユ?麺ツユ?恐らく左の写真の蕎麦(ソウメン?)と組み合わせだったのにうっかり間違えてしまったのであろう。海苔巻きの不恰好さもさることながら、海苔巻きに添えられたキュウリや大根の切れ端も失笑ものである。そもそもイタリア人にニッポン料理の技のひとつ、大根のツマが作れるわけがないのだ。ただの短冊切りになっている。

この写真では分からないが、ほかの写真には堂々と写るタイ米の寿司もあった。米、細長いんですけど、とニッポンジンなら普通に突っ込みが入る。ここまでくると、不安になってくるではないか。各国で扱われる外国物って所詮こうなのか?わたくしたちニッポンジンも気づかずに同じ過ちを犯している?恐怖に怯えたわたくしは、ニッポンから持参した、日本語で書かれ日本人によって作られた「イタリアンの料理本」を親友のアンドレアに全ページ見せた。

「これイタリアン?それともインチキイタリアン日本風?ニッポンジンが作ってるんだけど」興味心身のアンドレアはじっくりその写真や説明される料理の手順を見ていった。「いや、大体合ってるよ。例えばこれ、鱈のクリームソース和えオーブン焼き?これは無いんじゃない?生クリームと魚はねえ・・・でもあとは大体こんな感じだと思うけど。でもイタリアンの中でも結構ボリュームのある重い料理ばかり選んでるよね。こういうのがニッポンジン受けするの?あとさ、1皿1皿カロリーまで書いてあるところがさすが日本だねえ。」

危機は免れた。それにしてもひどい。あのオシン写真。