傘袋はニッポンジン的?

ここ数日雨ばかりだったペルージャにようやく太陽がやってきた。わたくしはペルージャの雨が大嫌いだ。教養のないイタリア人が道にほったらかしにした膨大な犬の糞が雨で溶け、道中どこをよけて歩いたらよいのか分からなくなるからである。同じ理由で雪も嫌いだ。雨で思い出したことがある。ガリバルディ通りに住むロレンツォという画家がいる。仕事で何度となくニッポンへ行ったことのある彼が面白いことを言っていた。

「折畳み傘の袋を後生大事にとっておくのは日本人くらいのもんだ。雨の日に東京で電車に乗る度に驚いたよ。みんなホームで電車を待ってる間にクルクルと傘をたたんで袋にしまうだろ?あれは車内で他人に迷惑をかけないためって言うけど、ニッポンジンらしいよね」非常に細かい外国人ならではの視点だ。確かにニッポンでは電車へ乗る度に、たとえそれが僅か5分であっても傘はたたんでしまうのがマナーであるし、自分も駅の改札をくぐりながら既に半自動的に傘をクルクル巻いていた記憶がある。

イタリアでは傘袋は単なるオマケという感がある。折畳み傘を購入するとき、勿論袋は付いているのだが、直ぐに捨ててしまうイタリア人が多い。乗り物に乗る度に、公共の場へ行く度に、たたんで傘袋にしまうなんてことは全く持って有り得ない。半開きのまま逆さにしてブラブラさせながら歩き、電車やバスの中では床にそのまま置く。
思えばニッポンでは電車や地下鉄に乗るとき、傘以外にもマナーとして遵守しなければいけないことは山ほどある。「携帯を切る」「大きい荷物は網棚に」「混雑時の足組みは禁止」・・・さらに張り紙だけではなくこれでもかという程に繰り返される車内アナウンス。「本日は雨のため朝から傘のお忘れ物が大変多くなっております。お降りの際はお忘れのないようご注意ください・・・」「足を組みますと前の方に迷惑となります。くれぐれも・・・」あのニッポンモードが懐かしい。

例えばローマの地下鉄など、何のアナウンスもなく突然ゴーッという地響きとともに電車が現れるのだ。時刻表など存在せず、電光掲示板に「到着まであと3分」「あと1分」といった表示がされるだけである。更に例え電車が来なくても、あるいは到着したのに何らかの理由で出発しなくても、トンネルの中で停車してしまっても、その事情がアナウンスされることは滅多にない。極限まで減らされたインフォメーション。突然停止してしまった電車に取り残された乗客は、最初の1分は不信な面持ちで待ち、そのうちほかの乗客と不満・不安・疑問をぶつけ合う。「何だ、何だ、どうしたんだ」「前の駅で電車が詰まってるのよ」「いや、こんなに長いってことは故障だろう」「人身じゃないの?」

昔ニッポン在住のドイツ人女性がこんなことを言っていた。「ニッポンの駅のホームや車内のアナウンス、あれは過剰よ。電車が到着する度に、白線の内側に下がれとか列を作って待てとか、いちいち何度もアナウンスするほどのこと?欧米なら有り得ない。少なくともドイツなら、この辺の常識やマナーは個人に任せるのが普通。ニッポンは良くも悪くも情報過多だと思う。」なるほど一理ある。しかしその環境で育ってきたのだ、私たちは。果てしなく話しがそれたが、傘一本で色々考えてしまう、雨の降り続く3日間だった。