ラ・ルムエラで和食ディナー(後編)

2月25日金曜日、イタリアはペルージャで(成り行きで)わたくしのコックデビュー戦は何とか無事終了した。お越しくださったお客様は32名、満員御礼で残念ながら二組ほど空席がないために帰って頂くという状態だった。オーナーのグラウコ、ロベルトともに大満足で、有無を言わさず第二弾をやることになったのである。

それにしてもキッチンは酷い混雑だった。何しろ別の部屋では20時から35名グループのディナー(勿論こちらはイタリアン)が予約され、また別の小部屋ではフリーのお客様が二組、更に21時からは和食ディナーが32名分、というラ・ルムエラ始まって以来前代未聞の和洋折衷だったのだから当然だ。イタリアンのコック長はロベルト、和食はわたくし、そしてアシスタントが3人。このアシスタントに巧みに指示を出し動かすことが、この和洋折衷70名をさばく鍵なのだが、何しろ和食は彼らにとって(勿論ロベルトにとっても)未開の地であり、コックという仕事はわたくしにとって未開の地であるわけだから、その混雑ぶりはご察し頂けるであろう。

さてここで当日のメニュー(お一人様25ユーロ)をまとめよう。

  1. 2人につき白ワインボトル1本
  2. 「前菜の皿」野菜入り出汁まき卵、唐揚げ、ヒジキと白インゲン豆の煮物
  3. 「第一の皿」スモークサーモンの海苔巻き、焼鮭チラシ寿司、浅漬、味噌汁
  4. 「第二の皿」照焼きチキンと野菜

それにしても、わたくしたちが一番迷ったのはお皿に盛る1人当たりの適量である。寿司はいくつがよいか、チラシ寿司はどれくらいか、照焼きチキンは何グラムか・・・これが30名様分となると買い出しや仕込みの量に当然大きな差が出てくる。いつもわたくしが家に招くイタリア人やニッポンジンは和食に慣れているのでとにかく食べるのだが、今回のお客様の半数は人生初めての和食だというから、あまりボリュームが多くても駄目だろう。結論を言うと、わたくしたちが盛った量は少なすぎた。一部の方から「ちょっと少ないよね・・・」とコメントも頂いた。というのも全員があっという間にペロリと平らげてしまったのである。

ところで今回一番驚いたのは、イタリアのキッチン風景である。勿論イタリアには千も万ものリストランテやオステリアがあり、それぞれがそれぞれの空気を持っているのだから一概にどうとは言えないが、それでもニッポンのキッチンと比べたら働き方が全く違う。いや、働き方というよりもホールスタッフ側とキッチン側の関係といったほうが適切だろう。

ニッポンでは「コックが偉い」という風潮が圧倒的に強い。ホール側も店長もキッチン側には極端に気を使い、言いたいことが上手く言えない。結果キッチン側とホール側で不発爆弾を抱えている飲食店は多い。がしかし、ラ・ルムエラは全く違う。例えば当日カメリエラで働いていた2人のイタリア人の女の子。2人とも二十歳前後の学生であり、当然アルバイトである。そのうちの1人アントネッラがつかつかとキッチンに入ってきたかと思えば、運んだばかりの肉の皿をそのまま下げて帰ってきた。「どうした?」とロベルト。「ベジタリアンって言ったでしょ!信じられない忘れてたわけ?」とアントネッラ。ニッポンなら「あの、すみません、お客様はベジタリアンなので・・・」といくらキッチン側の過ちでもホール側は言い方に大変気を使う。

勿論ロベルトもアントネッラのその言い方にムッとするわけもなく「そうだった、そうだった」で終わりである。わたくしの担当和食ディナーに関しても同じである。当日になって何度となく人数変更があり、もうディナーは始まっているというのに「マルコのテーブルは1人欠席よ」「ララのテーブルは18人だけど今いる15人だけでとりあえず始めるわ」等といった変更が1分毎にあり、最終的に誰も「で、今何人なわけ?」と把握できなかった。勿論わたくしはロベルトの指示に従い「前菜7人分お願い」と最終的に言われたものだけこなすようにし、カメリエラの言うことは全く聞いていなかったのだが。と、また皿を片手に戻ってきたアントネッラ。「ちょっと!あんたたち大脳に数学的要素が足りてないんじゃないの!?マルコの席は2人欠席って言ったでしょうが!」「何言ってんのよ、さっきは1人欠席って言ってたじゃないの!」とアシスタントコックのニコリーナ。と始まる口喧嘩、2人とも全く譲らない。そこへ割ってはいるアシスタントのフランチェスコ、「まあまあ落ち着いて。女の喧嘩はこれだから恐ろしいよ」

間違っても彼女たちは憎みあってるわけではなく、おかしいと思ったことは即口に出すという当たり前の行動な訳である。当然そのいがみ合いが後々まで残ることもなく(残ることもそりゃあるだろうが)、仕事の後はみんなでワイワイとご飯を食べてワインを飲んで終わりである。ニッポンのともすれば陰湿な空気に比べ、はるかにオープンでそれはまるでカラっとした地中海性気候そのものである。個人的には勿論、イタリアに座布団一枚だ。

コック長でコック長でもあるロベルトの人柄が非常に温厚であることも、ラ・ルムエラのスタッフがよくまとまっていることの一因だろう。当日わたくしは昼の14時にキッチン入りしたのだが、ロベルトはわたくしの作業を手伝ってくれた上に「カフェ、いる?」と言う。当然わたくしは「そんな、とんでもない」と答えたのだが、側で仕込みをしていたニコリーナは「マリコ遠慮しないの!あたしは紅茶ね、レモンもお願い」と普通にコック長ロベルトに注文している。結局ロベルトは近所のバールへ行きカフェ2杯と温かい紅茶をトレーにのせてわたくしたちの為に運んできた。何というか奢ったところが全くない。

いざディナーが始まっても「ワイン飲む?」と仕事中にも関わらずわたくしにまで酒をすすめてくる。更に常連の客が「チャオ、ロベルト!調子はどう?」とキッチンに顔を出す度に「まあまあ、ラム酒でも一杯・・・」と何回乾杯していたことか。キッチン・ドランカーそのものである。まあそういう彼の普通のおっさん的な一面が固定客を生み、ラ・ルムエラの魅力となるのだろう。そう言えば前日にロベルトとグラウコと3人で買い出しへ行ったときも、ロベルトは「今僕の連れが妊娠しててね。この白ソーセージが好きでよく食べるものだから・・・」といって個人的な買い物までしていた。人間らしいではないか。

ところで仕事の後は通常スタッフ間でのディナーが始まる。といっても夜23時過ぎの遅い夕飯である。この夕飯も勿論義務ではない。アルバイトの女の子たちは「彼氏と約束があるから」といってさっさと帰ることもあるし、オーナーのグラウコですら「今日は彼女が待ってるから」と食べないことが多い。まあこんな田舎のオステリアだからというのもあるが、それでもプライベートを仕事に持ち込むのはイタリアの特徴といえる。そして「仕事だから」でプライベートをおろそかにするのはニッポンジンの悪い癖である。程度にもよるが、ここも個人的にはイタリアに軍配をあげたい。

色々学んだラ・ルムエラでの和食ディナー。次回は3月半ばに行う予定である。魚もない、大根もゴボウも豆腐もないペルージャで、何ができるかメニューを考えるのは非常につらいが、楽しみでもある。さて、ここまで読んでくださった皆様、大変お疲れ様でございます。実はこのラ・ルムエラで和食編にはおまけネタがある。知りたい方は更にお進みください。
そもそもわたくしがラ・ルムエラで和食を作ることになったのは、わたくしのお友達、あの古着屋のララがラ・ルムエラで働くニコリーナに話してくれたからである。当然ララも友人をたくさん連れてディナーにやってきた。正確にはララは女友達5人と。更に同じテーブルにはニコリーナのお兄さんカルミネが連れてきた12人の野郎ども。どうせ顔見知りなんだからということで総勢18名の大テーブルになったのである。

しかしどうも変である。普通なら男女入り交じって座るだろうに(ことイタリアでは)、ララの女友達5人はあくまでもこの5人で固まっている。ニコリーナのお兄さんカルミネも野郎だけで固まっている。後日ララがわたくしに言った。「マリコ、昨日は大騒ぎしちゃってごめんね。だってものすっごく楽しかったのよー!」「確かに大騒ぎだったね。でもなんでみんな男女きっちり分かれて座ってたの?」」「あんた知らなかったの?男は全員ゲイで、女は全員レズビアンだったのよ。あ、もちろん私は違うけど。つまり私以外は皆そうだったの。」そ、そうだったのか。しまった最初から知っていればより面白かったのに。

わたくしのペルージャでの初ディナー、お客は全員で32名だったのだから、その半分以上はゲイとレズビアンだったということである。まあイタリアでは当たり前というか、普通にあることだが、この結果が妙に嬉しいのはなんでだろう。