スーパーの袋にみるニッポンVSイタリア

わたくしの実家がある横浜市内。東急ストアのレジ横に置いてある奇妙なもの。それは「スーパーのビニール袋をご入用でない方はこのプレートをカゴの中に入れてください」と書いてある20㎝×15cmサイズのプレート。仰せの通り、これをカゴに入れておけば、レジのスタッフは我々にビニール袋を渡さない。このプレートが入っていないカゴのお客様に対してのみ、相応のビニール袋を渡すのだ。

これを初めてみたとき、とてつもない不快感がわたくしを襲った。非常にマイナスな、ある意味現代ニッポンを象徴するような。このプレート、一体何のために存在するのだろう。レジのスタッフが、「このお客様にはビニール袋を渡さない」「こちらには渡す」というジャッジを即座に下すためのものか?合理的に?無言で?

こんなの「ビニール袋要りません」という客側の一言で済む問題のはず。どうも利便性をはき違えているように思われてならない。プレートを初めてみたとき「それくらい口で言えよ」と突っ込まずにはいられなかった。何故プレート。正直いって気色悪い。

ニッポンのスーパーのレジで働く方々は、イタリアに比べると超教育されている。余計なおしゃべりなどないし、手際もよく、間違えも少ない。「こんにちは、いらっしゃいませ」「有難うございました」徹底された挨拶。この挨拶を通じて、本来ならば物理的にレジ側と客側の間でコミュニケーションは存在するはずなのに、「袋要りません」の一言を省略するためのプレートを開発するニッポン。何だかチグハグである。そもそもマニュアル化された挨拶からは対話が生まれないのだ。
イタリアの場合、まずシステムが違う。レジでは客側に各種サイズのビニール袋が並べられている。客はレジに並びながら、自分の必要とするサイズのビニール袋を好きなだけとり、一緒に会計してもらうのだ。そう、イタリアの大手スーパーでは必ずといっていいほどビニール袋は有料で、一つの商品なのである。だからレジスタッフがビニール袋の有無を判断することなどできるわけがないし、「ビニール袋は要らない」という意思表示をするための奇妙なプレートなど、生まれるわけがないのである。

イタリアはヨーロッパの中でもエコロジー観念が欠如している国として有名である。しかし、スーパーの袋システムに関して言えば、ニッポンよりも遥かに理に適っている。勿論ニッポンでも、ビニール袋を有料とするスーパーがあることはあるが(生協コープもそうだろう)、まだまだ少数なのが現状だ。但しビニール袋の質に関して言えば、イタリアは最低である。お金を払っているにもかかわらず、ちょっと角のある例えば牛乳パックや卵のパックで、いとも簡単に破れてしまう。スーパーの外で、穴の開いてしまったビニール袋を睨みながら暴言を吐いているひとを何度も見かけたことがある。とすればニッポンの質の高いビニール袋こそ、有料に値するもの。

そしてやっぱりイタリア、なのが有料ということでレジ下に並べられたビニール袋、頻繁に欠品するのだ。各種サイズが揃っているはずなのにLしかなかったり。「Sありませんか?」「ないよ」「・・・。(補充しろよ!)」という状況はザラである。ああ、ニッポンとイタリアの良いところだけを摘み取れば、素晴らしい仕組みが出来るだろうに。

想像してみよう。レジに並ぶ客は必要ならビニール袋を自分でカゴに入れる。どっちにしても客側は一言だって発する必要はない。シャイなニッポンジンにうってつけのシステムである。同じ無言でも、無言で「要りません」プレートを入れるのと、「要る」意思表示で直接ビニール袋をカゴにいれておくのと、随分心証が違う。ビニールの質もよいし、随時補充するスタッフも揃っているし、ニッポンでこそ、こうあるべきだと思わずにはいられない。