ペルージャにおけるダウンタウンの位置づけ

ていうかこんなネタ、誰も興味ないですよね、笑。これを知ったところで何の特にもなりませんが。まあ、忘れないうちにまとめておきたいという、個人的な趣向で書かせて頂きます。
わたくしが2年ほどカメリエラとして働いていたダウンタウンは、今年でオープンからやっと5年目だから、ペルージャのほかのパブに比べたら新参者である。オープン当初は店は夜中の2時まで、キッチンがないためフードは無し、安くて穴蔵みたいな雰囲気だけがよいという、田舎っぽいパブだった。

それがわたくしが働き出してすぐに、クローズ時間が朝2時からなんと5時に変わり(従業員にも都合を聞け!!)、キッチンを作ってケバブなどの簡単なトルコ料理を出すようになった。なぜ突然トルコ料理?ま、いずれご紹介することになると思うが、ダウンタウンは2人オーナー制で、1人はわたくしの友人ロセッラの彼氏、イタリア人のステファノなのだが、もう1人が曲者で商魂逞しい、トルコ人のカラマンなのである。カラマンの強い要望により、店にオリジナリティを出すために食べるものはトルコ料理のみ、ペルージャ一旨いケバブを出すことによってリピーターを増やそう、という目論見があったのだ。(ま、世の中そんな上手くは運ばないもんである)
もともとペルージャ外国人大学のすぐ脇に位置し、チェントロまでわずか2,3分である好立地ということも手伝って、「ペルージャ唯一の朝までやってる店」ということで名が知れた。連日連夜(いや朝)、押し寄せる酔っ払い、学生の数ときたら。そして忘れてはならない、大事な客層が、ペルージャの飲食店(バール、リストランテ、ピッツェリア、パブなど)の従業員たちである。彼らは店を閉めた後、奇特にも朝5時までやっているダウンタウンに足を運び、仕事の後のお疲れビールに精を出すのだ。

そんなこんなで、ダウンタウンはあっという間に有名にはなったものの、その営業時間が影響して「2軒目、3軒目に行く店」「同業者が仕事のあとに行く店」という位置づけが否応無しにされてしまった。つまり。店は20時からオープンしているのに、キッチンだって稼動しているのに、殆どの客は12時過ぎにやってくる。それまで店内はガラガラなのだ。

当然わたくしの仕事は夜中の12時、1時までは本当に暇で、誰もいないカウンターに座ってテレビを見たり、迂闊にも顔を出した常連とお喋りしたり、あまりに暇でニッポンジンの友達を携帯で呼び出して話し相手になってもらったり・・・という状況だった。

ダウンタウンで働くと、同業者の知り合いが異様に増える。夜中の2時、3時に、全く酒が入っておらず素の顔でやってくる団体は大体、同業者だ。例えばチェントロのパブ「シャムロック」「ジョイスパブ&リストランテ」、オステリア「ラ・ルムエラ」、ピントゥリッキオ通りのエノテカ「チナスティック」・・・

ペルージャのような小さい街では、同業者は大切にしろ、とよく言われる。同業者同士の関係は常につかず離れずくらいが丁度良く、片方が片方の店に足を運んだらお会計は快くまけてあげたり、ショットをサービスしてあげたり・・・こんな小さなことがお互いの関係を穏便に保つのだ、と。例えばイチ留学生のわたくしですら、プライヴェートで他の店に行くと、大抵何かしらサービスされる。そして「彼女はダウンタウンマリコ」と紹介される。(誰も「バール・アルベルトのマリコ」とは紹介しない。平行して働いていたというのに)

たかだかカメリエラぐらいで、大袈裟なという気もするが、ペルージャのような田舎では、カメリエラ&バリスタの仕事が比較的確立されている。たとえ契約なしでも、たとえアルバイトでも、こういう小さい街において「飲食業」というのは街を支える大きな仕事になりうるからだ。そして「ジョイスパブのジュセッペ」「シャムロックのサブリナ」「チナスティックのエマヌエレ」というように、頭に店の名前を付けて呼び合ったりもする。(で、わたくしは「ダウンタウンマリコ」なわけである。)

そこには雇用契約も保険も有給もなく、ただの契約なしアルバイトであるにもかかわらず、何となく「拘束された」感がある。人をコミュニティに縛り付けるくせに、契約はしない。ダウンタウンマリコと呼ばせるくらいなら、契約の一つでもしてくれ、と思わずにはいられないが、それもない。そういうところが、アメリカナイズされてなくて、わたくしは大嫌いである。誕生会をやってくれるのもありがたい。クリスマスパーティに呼んでくれるのも嬉しい。でも。信用ある人間関係をそれだけで築くことはできないのだ。むしろ、そういうことで済ませようとするのが、わたくしの思う、イタリア人の嫌なところかもしれない。

話が大きくそれました。ま、徒然なるままに、ということで。