ロセッラとわたくしの同居人探し〜エピローグ〜

barmariko2005-08-05


わたくしが最後にペルージャで住んだ、サンタ・エリザベッタ通り1番地の家は、真裏にペルージャ外国人大学、目の前には中世の水道橋、見上げれば紀元前エトルリア時代の遺影が見え隠れするチェントロ(中心地)と城壁という景観、つまり立地的には申し分の無いところだった。さらに家賃が破格の200ユーロ(約2万7千円)と、その立地でそれはないだろうという経済的にも大変有難い家だった。(写真はわたくしの部屋からの眺め)

部屋はシングルルームが3つ、共有のキッチンとバスルーム、小さいながらも南向きのベランダ、そして階下にはわたくしたち専用の洗濯部屋まであった。先に住んでいたのは友人のロセッラで(カラブリア州出身で、いかにも南イタリア!という気性の激しい黒髪の女の子。わたくしが2年間働いたパブ「ダウンタウン」のオーナーのフィアンセでもある)、ちょうど2部屋一緒に空きになったからどう?と誘われたのである。

わたくしが入居したのは2003年2月、その時点でロセッラは既に5年以上そこに住んでいたこともあり、彼女はまるで家のオーナー同然だった。実際のオーナーは大学の目の前にあるバール・フランコのあのフランコさんなのだが、彼にとって大事なのは毎月家賃収入がきちんとあがることと、違法滞在はごめんだ、ということだけであり、例えばどんな子が住むのか、名前は何か、いつまで滞在するのか、次は誰が入るのか・・・そんなことは全てロセッラに投げっぱなしだった。だから空き部屋に入る住人を探すときも、張り紙をしたり面接をしたりするのは必ずロセッラで、彼女にその全権は委ねられていた。

わたくしはと言えば、もともとロセッラの友人で身元は安全、さらに「ダウンタウン」という実はこれまたフランコさんが建物のオーナーだったりするパブ(何てややこしい。つまりフランコさんはバールを営業するだけでなく、実は土地・パラッツォ(建物)持ちとして相当の家賃収入を得ているということだ。そしてこのように実は水面下で皆繋がっているということは、ペルージャはやっぱり田舎ということだ)で働いていたこともあり、一発OKで入居となった。

しかしそんな好物件が、何故空き部屋になったのか?

答えは簡単、ではない。少々複雑な事情がある。実はこの家、わたくしが入居する直前に放火にあったのである。当日ロセッラはフィアンセの家で寝ていたため無傷だったが、残り2部屋を使っていた2人のイタリア人女性は煙とススにやられて病院へ運ばれた。不幸中の幸いで特に大事には至らなかったものの、気味悪がってすぐに引越してしまったのである。

家の中は、全焼とまではいかなくとも相当なダメージを受け、キッチン・玄関の壁はススで真っ黒、玄関のドアも焼け焦げて崩れ落ち、あちこち穴があいていた。お金にうるさいフランコさんも泣く泣く全室工事を施し、ドアは付け替え、鍵も新しくし、壁は全て塗り替えた。ロセッラ曰く「わたしは10年ペルージャに住んでるけど、放火なんてたちの悪い悪戯事件は聞いたことがない!このパラッツォ(建物)には6世帯が住んでいるけど、よりによってわたしたちの家のドアの真ん前に、火種が放置されていたらしいのよ。まるで最初からこの家を狙ったみたいに。」

しかしその前住人が引っ越したために空き部屋となった2室のうちどちらかを使わないか?とロセッラに聞かれたとき、わたくしは即座にOKした。「ええ?大丈夫?」と心配気な友達もいたが、10年に1度の放火が先月起こったのなら次は10年後だろう、それよりもこの好立地と経済条件は見逃すことのできないお値打ちもの、と考えて迷いはゼロだった。

入居したとき玄関のドアはまだ古いままで、放火によって開いた穴から2月の隙間風がスースーと入ってきた。しかしそれ以外は完璧にリフォームされ、キッチンといいバスルームといい、壁は新品、さらにロセッラが残ったススをくまなく掃除してピカピカに磨き上げていたため、新築ハウスそのものだった。ロセッラは形だけ自分の部屋を持ってはいるものの実際はフィアンセの家で同棲生活を送っており、さらにもう1部屋はまだ住人が決まっていない、ということで初日の夜(というよりそれから2週間)は気ままな独り暮らしを堪能することになった。キッチンもバスルームも使いたい放題で、これで家賃が2万7千円なんて素晴らしすぎる。しかし今思えば、それは嵐の前の何とやら、だったのである。