真夏の夜のパブ

真冬にイタリア真夏のパブのお話をするのは大分季節外れの感があるが、まあ真冬にコタツでアイスを食べるようなものと思って頂ければ有り難い。

ペルージャのパブやバールには普通クーラーがない。テラス席のあるところはまだよいが、室内営業のみのところは、この時期それはそれは茹だるような暑さである。例えば私が働くダウンタウン。テラス席なし。キッチンがあるので暑さは増す。近所は一般住居ばかりなので騒音がもれないようドアも窓も締め切り。6月ともなればまるでサウナである。パブといえばヨーロッパ各地の生ビールがその醍醐味だが、ビールサーバーがあまりの暑さで機能しなくなるため、生ビールのぬるさと不味さは何とも形容し難い。最初からぬるい上に、飲んでる間にさらにぬるくなるので、正直言って生ビールは諦めて大型冷蔵庫に陳列される小瓶のビールを買う、もしくは氷たっぷりのカクテルに逃げるのが一番賢い。(一番冷えている)

夏になるともはやイタリア人の心は「屋外」へまっしぐら、夜な夜な外で過ごすのが当たり前になるので、わざわざ超亜熱帯気候のパブへは足を運ばない。そう、クーラーがない上にテラス席を持っていないパブやバールにとって夏は閑古鳥のなく季節だ。

こんな悩みを持つ一部のオーナーたちが今年の夏、新たな試みを企画した。ガリバルディ通りを上り切ったところにあるサンタンジェロ寺院のすぐ隣に位置するサンタンジェロ庭園に夏季限定営業の野外バール・パブを開設したのだ。あのバール・アルベルトのアルベルト、すぐ先のパニーノ屋のエミリアーノがペルージャ外国人大学関係者から話を持ち込まれてOKしたらしい。更にガリバルディ通りをもう少し上ったところにあるパブ、ブローバルトが同じ敷地内に、夏季限定の野外シネマ館をオープンさせた。毎晩1本上映し、その間屋外に移設した自分たちのパブも営業させる。

基本的には日本に比べてはるかにカラッとした地中海性気候のイタリア、夜な夜な外へ外へと流れるイタリア人の行動は100%理解できる。家にはクーラーもないし、夜風にあたってビールでも飲んだほうがよっぽど気持ちいい。夏の夜に寺院の庭で観る映画(しかも約600円)、個人的には最高である。

東京お台場に野外シネマがあったと仮定しよう。冷房が強烈に効いた電車からモノレールに乗り換えお台場まで行き、降りたとたん潮の香りよりもまずジメっとする埋め立て地の蒸し暑さに目眩を感じ、それでも2000円を払い・・・都会で野外シネマは絶対流行らない。というか意味がない。これは田舎限定の娯楽であるべきで、家から夜風にあたりながら歩いて行き、道々クラスメイトや近所の知人に出会う、日本で言えば地域の夏祭みたいなものだ。
しかしこんな画期的なことをやらかすのはペルージャにおいて非常に希で、普通は夏の間中店を閉めてしまう。例にもれず我がダウンタウンも7月20日から8月31日まで長期バカンスである。そう言えばアルベルトが今日も愚痴っていた。「野外バールの工事が遅れててね、6月末にオープンっていうからokしたのに。もう7月も半ばだよ。俺は8月にギリシャでバカンスなんだ。2週間だけ営業するために開設するのか?馬鹿げてるよ!」

いやいやアルベルトが8月不在なだけで、この野外バールは8月も毎日営業する。
しかし彼の8月のバカンスは絶対で一年で最も大事なことなのだ。工事が遅れようがオープンが7月30日になろうが8月1日にはギリシャ、スタッフを置き去りにして彼はバカンスなのだ。

さて、この話には続きがある。結局この大々的な企画は大失敗に終わった。2店とも「来年は絶対やらない」と固く誓った。バール・アルベルトが参加したほうの野外パブは、何しろ準備不足、企画不足、おまけに脳みそも足らないときて、オープンが5回も伸びたあげく、オープン日の夜「店に電気が全くない」ということに夜も更けてから全員が気づくという大惨事であった。

解説すると、3ヶ月に渡る工事は毎朝、毎午後太陽がサンサンと照る中行われたため、当然電気はいらない。野外工事であるから太陽の光で十分である。それがオープン当日夜8時半、徐々に日が落ちて薄暗くなってきた頃、突如ひとりの現場関係者が「暗いぞ。おーい、電気つけろよ」「電気なんてないぞ」「ないってどういうことだ!?」「おい、お客さんもうくるぞ」「来るもなにも暗くてこれじゃあ店までたどり着けないよ」「たどり着かれても逆に困る。こっちも暗くて何もサービスできん」

これこれ、これがないとイタリアではない。期待を裏切らないイタリア人。この日アルベルトが目の前にせまる野外パブのオープンに立ち会いきりだった為、わたくしはバール・アルベルトに独り店番で残っていたのだが、「えらいこった!電気がないんだよ!もう二度とこんな企画やらん!黒人(この企画を持ち出した大学関係者が黒人だったため)とはもう二度と信じない!」とわめき散らしながら入ってきたのを、今でも鮮やかに覚えている。
そして徐にバール・アルベルトに僅かながら残っている蝋燭や蝋燭台などを、慌てふためきながら掻っ攫っていった。

イタリア人、素敵です。